30. 見上げた空が白むとき。
- u
- 2023年7月13日
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更新日:2月15日

イタリア語の文章のなかに、”un sussulto” という言葉を見つけた。
“枝を揺らし、木の葉をそよがす un sussulto のように” というところまでは訳せたけれど、肝心な部分がわからないままだ。
いろいろ調べているうちに、それは揺れや動揺のようなものらしいと知る。
はっとさせる、どきっとさせるという心へのはたらきかけや、地震の物理的な揺れ、とりわけ下から上に向かう振動を表すということに興味を引かれる。
はっとする、という感覚は咄嗟に他言語へ置き換えることが難しいものの最たる例だと思う。
日本語を勉強している友人に、はっとするってどういう意味?って聞かれたら、答えに窮するだろう。
自分がはっとするとき、それがどんな現象なのか、振動のようなものならば、どこを起点にしたどの方向へのものなのか、改めて感じてみる。
最近はっとしたのは、いつだったかな。
イタリア語は、現代話されている中にもラテン語の語彙や特徴が色濃く残っていて、言葉の語源や構造を紐解くと、哲学的・抽象的な現象をいかに感覚的に、シンプルに表現できるかということに驚かされる。
イタリア語で「心配ありませんよ」というときに言うNon preoccuparti(ti preoccupare)という言葉をぼーっと眺めていたときに、雷に打たれたようにはっとした。
“preoccuparsi” というのが、(再帰的に)“心配する” という意味なのだけれど、
よく見ると “pre(あらかじめ)+occupare(占拠する)+si(人称・人を)” というつくりになっていることに気づく。
そうか、心配とは、あらかじめ心を占拠されることだったのか。
たとえば今の私という人間が一軒の家だとして、いったいどれくらいの部屋が未来のことや過去のことで塞がれているんだろう。
目の前に飛び込んでくるあたらしい客人のために、ちゃんと部屋を空けられているだろうか。
世界の見方を変えてくれる言葉とのよろこばしい遭遇を繰り返しながら歩くことを、曖昧かつ的確にあらわしてくれる言葉を見つけた。
ドイツ語で、夕暮れと夜明けを意味する “Dämmerung” という言葉がある。
夕暮れは Abenddämmerung、夜明けは Morgendämmerungともいう。
dämmern という動詞は、暗い空がしだいに明るむことと同時に、日が傾き、たそがれから夜へと移り変わるさまをあらわす。
直訳を試みるなら、空が白むこと・夜の帳が下りること、が近いと思う。
日の出・日の入りといったある時点を指すものでも、薄明・薄暮のような明暗それ自体でもなく、その明暗差、うつりかわりそのものを意味する言葉があることにおもしろさがある。
比喩的に、認識や意識について用いられることもある。真相がしだいにわかってくることや、反対に意識がもうろうとしていることを示す。
あかるい、という形容詞が、「明確な」とか「わかっている」「よく知っている」という意味をもつことは言語をまたいで見られる現象だ。
その一方で、言語にふれることは、暗い状態、わかっていないこと、不明瞭さ、どっちつかずで宙ぶらりんな気持ちも大切な自分の一部だということに気づかせてくれる。
暗がりをひとりそぞろ歩いた後の、日の出の沁み入るようなうれしさ。
あたらしいことをひとつ知ると、その先にまた足元の見えない暗がりが広がっていること。
それでも誰かの声のする方へ、自分の心が向く方へ暗がりを進んでいくと、息を呑む光景に出会えることがあること。
あかるさと暗さが混ざり合ったところにあるものが胸を打つ。
光景は私の理解を待たず、ひとところにとどまることはない。
言語の話になると、話題は会話やコミュニケーションのことになりがちだけれど、耳を澄ませれば、言葉はいつもひとりでになにかを教えてくれる。

2023.07.13 u
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