1. 言語とのかかわり方は、生き物同様でありうる。
- u
- 2022年5月9日
- 読了時間: 4分
更新日:2月15日

「生活の言語」として話している言語と、新しく勉強する言語。
語学を勉強する目的は、進学や、資格習得や就職やスキルアップかもしれないし、誰かと会話をしたり、別の場所で生きるためかもしれない。
私にとっては言語について知ること自体が目的で、しいて言えば、それが自分自身を変えてくれるから楽しみ続けられるのだと思う。
言葉はいつも、当たり前だと思っていたことを壊してくれ、新しい世界の見方を教えてくれる。
義務教育では英語を、大学ではドイツ語と英語を主に学び続けながら、フランス語とインドネシア語を始め、言語そのものや文学などの言語文化にふれた。
学生時代には、友人をはじめ、幸運にも出会えたたくさんの人たちの影響から、韓国語や中国語、ハワイ語、スペイン語、ポーランド語などにも興味を持った。
そのなかには、セネガルやイエメン、カザフスタンなど、初めての出会いもあった。
名前だけは知っていた国たち。そこで生まれ育った人と関わることによって、イメージは地図から飛び出し、山脈や、その地ならではの建物の色や日差しが見え始める。
自身が新しい言語を学びながら――うんうん唸りながら辞書を引き、やっとの思いで一文を訳し、一日数個の単語を覚えることを繰り返しながら――日本語を教えるための教授法も少しだけ学んだ。
新しい言語を学ぶことのなにが難しく、そこに母語がどう絡みついてくるのか。
そして、もっと日本語に親しみたいと日々努力する学習者に対して、日本語はどんな顔をして学習者を迎え撃つのか、少しずつ考えるようになった。
その顔は当時の私にとっては、朗らかで親しみのある露店のおじさんという風情ではなく、
なかなか本音をあらわにしてくれない、フォーマルな制服に身を包んだ紳士淑女といった感じだった。
自分が生まれてから話し続けてきた言葉が、これからのかかわり合いによってどのように表情を変えていくのか、楽しみになった。
大学を卒業して一般企業に就職したら、言語に触れない時間が増えた。
多くの場所では、自己紹介で「言語に興味がある」と話すと、話題は「バイリンガル」や「資格のスコア」「インターナショナルな人とは」といった話になりがちだった。
そういう会話を繰り返しているうちに、多くの人たちは一つ一つの言語がどんな特徴をもっていて、どんな性格をしていて、接すると、声に出すと、話せるようになると、どんな感じがしてその言語を話す人たちがどこでどんな暮らしを送っているかには興味がないことに気づき、寂しさを覚えた。
退職してから、もっと自分から「遠い」言語を知りたいと思い独学でロシア語を始めた。
ロシアは、地理的には日本から遠くない。むしろ、近い。でも、心理的な距離は遠かった。
日本語以外でローマ字を用いない言語を学ぶのは、おそらく初めてだった。
そして今は、ひらかれた言語にふれたくて、ひとりイタリア語を学んでいる。
もしイタリアで生まれ育ったあの人がそれを聞いたら「ほら、私たち同じ言葉を話してる。もうひとりじゃないよ」と言ってくれるかもしれないな、と想像する。
ここで挙げたような、「イタリアとは」「日本とは」「〇〇語とは」といった大きな括りで話すことは、本来望ましくないと思っている。
私は、ひとつの言語とは、無数の要素を内包する宇宙だということを信じているのだ。
同じ「言語」を話していても、それぞれの環境で生まれ育ち、ひとりとして同一の存在がいない「人」が話している限り、全くの同一ではない。
その言葉選びや、言葉にもつ印象は、たとえ無意識であっても、異なっているはずだ。
上に挙げたような考えは、その多くがまだ感覚的なものでなんの裏付けもなく、単なる理想や空想も存分に含まれているかもしれない。
それでも、学んできた言語が、今まで、そして今も私に与えてくれるものは、より給料の高い生活より、人に自慢できる学位より、もっと根源的で、私の中に生きていると感じる。
それがどういうことなのか、こうして文章にすることで紐解いていきたい。
私はいま、犬や植物たちと一緒に暮らしているけれど、
言語のあたらしい表情や見知らぬ一面を見つけると、一緒に暮らしている生き物たちと「目が合った」のと同じような、なんとも快い感覚を覚える。
2022.05.09 u
新しい言語をまなぶと、世界広くなります。
カワイ
例えば。世界に無数にいる「犬」の中に、全く同一の犬はいない。同じように同じ言語(言葉)であっても、誰が話すのかやいつ話すのかによって、意味合いは違ってくる。そんなことを連想しました。
辞書を引っ張り出して、かつて一緒に遊んだ言語たちと、久しぶりに顔を合わせてみたくなりました。すっかり変わってしまっているのかしら。それとも、当時のことをお互いに思い出して、会話に花が咲くのかしら。ともかく、書いて下さりありがとうございます。続きを楽しみにしています。