22. こころを齧りとられていく夜に。
- u
- 2023年1月21日
- 読了時間: 4分
更新日:2月15日
* Zweiundzwanzig=ドイツ語で「22」(zwei=2 と zwanzig=20)

一日のなかで、夜の時間帯がすきだ。
これまでの生活は、ほとんど社会規定の時間割で進んできた。家、学校、会社、みんなの時間として進んでいく、自分の時間は置いてけぼりになる。息切れしても早く先に行きたくても、足並みを揃えて歩く。
夜には、働いたり、食事をしたり、睡眠をとったり、ゲームをしたりして、時間もタイミングもてんでばらばらな、もっと多様な時間の過ごし方がひとびとの間にあって、みんなの時間から解放される。
一方、夜は不安に苛まれる時間も多い。
あわただしい昼間にはない隙間ができると、そこには絶え間ない負の考えが溶岩や毒ガスのように切れ目から吹き出してくるときもある。過ぎ去ったはずのものが、いつまでもそのときの痛みとともに甦る。
そういうとき、ドイツ語では “nagen” という動詞で表す方法があると知る。
nagen の代表的な意味は、齧る(かじる)。犬やネズミ、齧歯類などの特定の動物が、前歯でなにか硬さのあるものを噛み、穴をあけたりちぎったりする動作を表す。
同時に、波が陸をさらう浸食、不安や苦痛が人の心をさいなむことを比喩的に描くことができる。ドイツ語の比喩表現の、感覚を伴う飛躍、ジャンプ感にはいつも感心する。
疑念や不安、ひもじさなどが、人を煩わし、苛み、消耗するような作用が働くこと。
同じひとつの単語がもつ、齧る・苛むという意味同士が重なり、鳥獣の骨にわずかにのこった肉を鋭い歯でこそぎとる獣のような執拗さを連想する。
nagen とルーツをともにする単語は、英語の gnaw、フランス語の ronger だ。三語とも物理的・比喩的両方の似た意味があり、部分的な違いはありつつも互いに対応している。
“nagend” “gnawing” のように進行形で、がじがじと齧りつづける、じわじわと人を苛んでいくという形容詞になれば、とくに強烈な実感を伴う言葉になる。
a gnawing pain は、激しく食い込んでくるような胃痛の場合もあれば、刻一刻と自分を齧り取られていくような悲痛さでもありうる。
日常会話で話すには比喩的で詩的すぎると感じる人もいるかもしれない。けれど、苦痛や不安、痛みや恐怖といった、他者とは共有できないものを、自分の体感を伴う言葉に落とし込めること、自分の感覚にぴったりと添う言葉にあらわせることは、心地よい経験だ。
日本語ではどの言葉が近いだろうか、と思いを巡らせてとびこんできたのは「虫食む(むしばむ)」だった。
虫という言葉からどんな虫を連想するかにもよるけれど、少なくとも齧歯類との比較では、その噛み痕はより微細で、痛みや衝撃も小さいように感じる。
しかし、気づかぬうちに毒は全身を巡りはじめている。気づいたときにはもう手遅れなのだ。虫食むには、そういう外見とは裏腹な毒々しさを感じる。
わたしは、ひとが抱いている不安や痛みを知らずに生きている。自分が抱いている不安も、ひとに完全に伝えきることはできない。どんなに相手が知ろうとしてくれていても、そこには亀裂がある。
自分自身ですら、全容をつかみとることができない。それでいて、ちいさな虫食みが今日を生き延びることさえ難しくさせることもある。
そんな風に生き延びた今日も、他人の目にはありふれた一日に見えるだろう。
私は、今日この言葉を見つけたことを誰かに伝えたいと思った。
たったひとつの言葉が、それまで全く関係のなかった、関係ないと思っていた事柄を縫いあわせていく。遠く離れた場所や時間を、今、息をしている私とつなぎあわせる。
だれかが残した言葉にふれる。本を読み、声に耳を澄ませる。まだなにも聞こえなくても、耳を傾けることをやめない。
ときには、そのひとが生涯話した言葉でその物語を読んでみる。ひとつひとつのちいさな蛍の光が、ぽつぽつと世界を黄色く染めていくように。
自分という家の基礎を、今から堅牢な鉄筋コンクリートにつくりかえることはできないとわかっている。与えられた木材と培った防虫法で、どこが虫食まれやすく、そこにどんな風にあたらしい木材を充てるのかを自分で考え、この手でつくっていくのだ。
ときには大きな災害で、土台ごと流されてしまうことだってあるけれど、また一から、こんどは別の場所をさがしたり、また同じ場所に戻ったりしながら骨組みを立てていく。
見晴らしのいい高台で、木々の青いにおいを運ぶ風を感じながら。
そんな風景に思いを馳せ、夕闇がぼかしゆく空を眺めている。
2023.01.21 u
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