2. 名前も知らないあの人が、今も私の肩をたたいてくれる。(2/2)
- u
 - 2022年5月20日
 - 読了時間: 4分
 
更新日:2月15日
*Zwei(ツヴァイ)=ドイツ語で「2」

(1/2 続き)
帰国当日の朝。最後の日。
本来、下宿していた街から空港までは列車で直行できるのだけれど、事前に調べ、学校からも案内があった通り、その日は大規模工事のため、迂回して臨時バスに乗り換える必要があった。
朝の混雑にのみこまれ、時間のプレッシャーと孤独に押しつぶされそうになりながら、両手に大荷物、さらにパソコンやカメラが入ったショルダーバッグを抱えた汗だくの自分が悲しかった。
100L近いスーツケースは、購入した本や図録で膨れ上がり、エレベーターやエスカレーターのない駅で、どうやったらこの大荷物を運べるのか途方に暮れた。
あらかじめ航空便で送るなど、事前に手配しておくべきだったと後悔しても、もう遅い。
そうはいっても、険しい表情で先を急ぐ人たちにあふれた満員電車のような雑踏の中で
誰かに「自分の荷物を運んでくれないか」と頼む勇気はない。
邪魔になっていることは自覚しながら、隅っこで一段ずつ持ち上げていくしかなかった。
視界が涙で滲みそうになって、上を向くことができなかった。
一瞬、両手がふっと軽くなったかと思うと、私のスーツケースはもう階段の上にあった。
身軽な青年が、「ここ、置いとくよ!」と言って颯爽と去って行った。
涙が溢れそうになった。
どこにいても、こんな事態でさえ、私は自分から助けを求めることができず、誰かが助けてくれるまで一人でなんとかしようとしているのかと、自分が恥ずかしくなった。
行列に並んで、(みんなもそうだろうけど)なんとしても乗りたいと食い下がって、やっとの思いで臨時バスに乗れた。
人込みが苦手な上、人がひしめき合うバスの車内は静かで、落ち着かなかった。
駅でのことをずっと考えていた。
ようやく空港まで直行できる駅につき、列車に乗り込もうとしたとき、突然見知らぬ人に声をかけられた。
「乗るの?(荷物)手伝おうか」
列車の乗り口が駅のホームよりかなり高い段差になっているので、その声の主は、近くの人の荷物を運んであげているようだった。
一人だったので周囲にはかなり警戒していたけれど、気が張り詰めている反面、体力は底をつきそうだったし、その人から悪い気配は全くなかったのでお願いすることにした。男性は、近くにいた数人の荷物をホイ、ホイ、と運ぶ流れに乗せて、私の大荷物を笑顔で、一瞬で持ち上げてくれた。
列車の中は混みあっていて、その男性と、他に居合わせた女性2人と一緒に、出入り口近くのスペースで過ごすことになった。
私からみると「おいちゃん」と呼べるくらいの年齢で、こんがりと日焼けして恰幅のいい壮年の男性は、カザフスタン出身らしい。
ドイツで薬学を学び、現在はたまに地元と行き来して暮らしていると言っていた。
居合わせた女性のうち、男性と同世代くらいに見える女性は台湾出身で、以前ちょうど私の留学先で哲学を研究していたという。
もう一人の女性は、同世代くらいの日本からの留学生。「こんなときに偶然出会うなんて、なぜだかホッとするね」と話した。
4人で話していたこともあり、日本出身の人とドイツ語だけで話したのは初めての不思議な経験だった。
会話の内容は初対面のときによくある話題で、プライベートなことや、込み入った話をしたわけではない。
連絡先を交換したわけでもないし、後から思い返すと名前すらも覚えておらず、今後は、どう願っても再会できないだろう。
それでも、何年もたった今でも、そのときのことは鮮明に覚えている。
予期せぬ事態で一人心細くしていたとき、
厚意で声をかけてくれ、助けてもらったこと。
何気ない会話の中で微笑み返してくれて
「またどこかで会えたら」と、願いを込めたこと。
言葉にならない様々な断片が今も自分の中にあって、
ふとした瞬間に、すごく、励まされる。
元々集合時間がかなり早めだったこともあり、その後、空港で知人と合流でき、予定通りの便で日本に向かった。
飛行機の中では、無事に帰ることができる安心感で具体的なことは何も考えられなかった。
ただ、何でもない一日。ありふれた会話の中に、こんなにも、心に大きな波を残す出会いがあるのだと、ぼんやりそんなことを思った。
日々生活していると、視界が「今」でいっぱいになって、ここ以外で生きることを想像できなくなることもあるけれど、
そんなとき「あの人は今頃何しているんだろう。元気だといいな」と、海の向こうでも誰かの生活があることを思い浮かべる。
2022.05.20 u





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