59. 絵の具が乾くまでは。
- u
- 11月12日
- 読了時間: 3分

watch paint dry (絵の具 / ペンキが乾くさまを見つめる) という慣用句がすきだ。
watch grass grow (草がのびるのを見つめる) も似た意味で、暇をつぶすとか、退屈する、無為に過ごすという意味なのだけれど、能動的に何かをする日々の隙間にうまれた、目的から解放された余白を感じる。
ゆっくりできる過ごし方をなかなか見つけられずに生きてきた私は、この言葉を目にして、ようやく腑に落ちる感じがした。過ぎていく時間をよそに、何もしないことが許されているような気持ちになる。
ただそこにいることにだれの許しもいらないはずなのに、生産的な生き方が身体に染み付いていることに気づかされる。手持ち無沙汰に何かを待つことが少なくなり、下手になっていると感じる。
漠然とした物思いにふけり天井をただ見つめることも、突然の雨から逃げるように立ち寄った書店や喫茶店で、いつ止むかもわからないまま雨宿りをすることもない。常に何かに向かっていて、目的のために忙しく動く頭と心は、ずっと occupied なまま。
鍋で具材が煮込まれるのを待つ時間や、ケーキが焼きあがるまでの時間。マニキュアが乾くまでの時間、回る洗濯機が止まるまでの時間。そういう瞬間を空白のままにしておくことがなくなって、あったはずの空白が埋められていることにも無自覚になった。
映画に登場するコインランドリーのシーンが大体すきなのは、群像劇的なおもしろさ以上に、空いた隙間がそのままになっていることが心地いいからかもしれない。
船や列車の旅がもたらす余白。責務からひととき解放され、目的地へ自分を運んでもらいながら、到着までの時間を好きにしていればいいだけのつかの間の自由。
そういえば、暇をつぶすという表現は、言語によって多様な描かれ方をする。例えば英語では、killing time (時間をころす) とか、passing the time (時間をやり過ごす)、idle away the hours (アイドリングする→ぼさっとする) などがある。
ドイツ語では、die Zeit totschlagen (時間を撲殺する) や、die Zeit verschwenden (時間を浪費する)、die Zeit ausfüllen (時間を埋める) のようにいうことができる。
特に気になったのは die Zeit vertreiben (時間を追い払う) と die Zeit überbrücken (時間を橋渡しする) で、前者は退屈しのぎをすることを意味し、後者は、病院などの待ち時間や、予定と予定の間にできた隙間時間を有効活用するときなどに用いられるようだ。いずれも、有意義に過ごすというニュアンスを含んだポジティブな響きがある。
「48. 抜け殻に宿るもの。( https://x.gd/zrITl )」で書いたように、ドイツ語では 「退屈」を langweilig(時がなかなか過ぎない状態)、その反対を kurzweilig(時がはやく過ぎる状態)として表せる。
楽しくてあっという間に過ぎてしまう時間、集中・緊張していて気づけば終わっていた何か。身の回りがそういう kurzweilig な時間で埋まっていて、突然電池が切れたようにエネルギーが枯渇してしまう。
watch paint dry 的な時間の過ごし方は、暇だけれど退屈ではない。時間がのんびり過ぎていくことを味わっている。そこにある未完成のものたち、ぎりぎり知覚できるわずかだけれど確実な変化。その時間の先に待つおいしい瞬間や、洗いたての服に袖を通す心地よさへのかすかな期待。
ペンキが乾くまで、洗濯が終わるまで、目的の駅に着くまで…。ちょうどよく限られた時間だからこそ心地よく解放される。何もしなくていい状態がいつまでも続くのは、きっとやるべきことに追われるのと同じくらい苦痛だろう。
"A watched pot/kettle never boils (見つめられたポットは沸かない)" ということわざは、焦りは禁物という意味で、待つことを意識してしまうと、時間がとても長く感じられることをユーモラスに語る。
湯が沸くまで、空っぽでいる。
そんな時間があっていい。
2025.11.12 u





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