25. グラタンからひろがる地図。
- u
- 2023年3月31日
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更新日:2月15日
*Vinte e cinco(ヴィンチ ィスィンコ)=ポルトガル語で「25」

グラタン皿ってドイツ語でなんだっけ、と思って調べてみると „Auflaufform” という単語に行き当たった。
Auflauf がグラタンで、Form は形(かたち)や型という意味。
グラタンはフランス語から輸入された名前だということは聞き知っていたけれど、別の名前についてはあまり考えたことがなかった。Auflauf を辞書で引くと、(公道での)人だかり、(不法)集会、グラタンなどの意味が並ぶ。字面からは、auflaufen という動詞が見え隠れする。
„auflaufen” には、座礁する、乗り物が衝突する、乗り上げる、利子が増える、水位が上昇する、(放置されて)郵便物が溜まる、[農業用語で](植物の芽が地表に)出現するなどの意味があるらしい。
意味を探すほどに捉えどころを見失っていくのが多義語のおもしろさだ。
郵便物が溜まる状態を、水嵩が増すのと同じ言葉で比喩的に表す方法があることにときめく。
オーブンでグラタンに火を通していると、チーズやホワイトソースがぐつぐつ膨らんで嵩が増すからこの表現になったのかもしれないと想像する。
調べていくうちに Auflauf はグラタンの訳語というより、キャセロール(フランス語のcasserole = ソースパン)や、シチュー鍋でつくられた料理、ココット(cocotte)と似たもののことらしいと分かる。
ちなみにココットは、蓋・取っ手付きのシチュー鍋以外に、擬音語として雌鶏をあらわす幼児語のコッコ、(en papier とともに)折り鶴、(馬をなだめる際の)ドウドウなどもあらわすらしい。
フランス語でやっほーというときに “Coucou(クック―)” と言うのに近い感覚がある。
グラタンはフランス語で Le Gratin。動詞の “gratter(掻き取る、掻き出す)” に由来するという説がある。
会話の中では、 Le Gratin というと、社会的地位の高い人たちや特権的ななにか、ハイクラスなどの意味をなす側面もあるらしい。
gratter には、(表面を)引っかく、削り落とす、(体を)掻く、(セーターなどが)チクチクするなどの意味があるようだ。
たしかに、少し深さのあるグラタン皿から人数分を取り分ける様子はこの料理名と結びつきやすい。
形容詞 gratiné になると、とんでもなく難しい、大変だというスラングになるらしい。 "C'était un examen gratiné.(その試験はめちゃくちゃ難しかった)" といった感じだろうか。
オーブンから出してすぐに口に入れると地獄のように熱くてなかなか食べられないし、急ぐと前歯の裏をやけどしてしまうグラタン、みたいなことなのだろうか。困難に直面してもがく仕草からだろうか、と想像が膨らむ。
gratter le papier(紙の表面を引っかく)という一文で、下手クソな文章を書くという表現になると知る。なにを書いても、紙に傷をつけているだけでなんの意味も成さないという蔑みからきているらしい。
掻く+皮肉といえば、以前ドイツ語辞典をめくっていて見つけた kratzen(引っかく)という動詞を思い出す。フランス語の gratter と起源をおなじくする言葉だ。
猫に引っかかれたり、かゆくて体をぽりぽり掻くのとあわせて、ペン先が紙に引っかかったり、喉がイガイガ、ひりひりするさまもあらわす。
転じて、auf der Geige kratzen(バイオリンを引っかく)は “下手なバイオリンを弾く” という表現になる。
下手なバイオリンという凹凸のない評価的な言い方から、kratzen の一語によって毛羽立ったようにトゲトゲした音、耳をつんざくようなイガイガした音のイメージが立ち上がってくる。なにが上手いかなんて知らないはずなのに、下手なバイオリンを聞いている自分が想像できてしまう。
チーズの品種で馴染みのあるラクレット、その由来はフランス語の racler(削り取る、擦る)という動詞で、こちらもバイオリンをキイキイ鳴らす耳に痛い演奏や、渋すぎてのどを刺すようなワインの味わいをあらわす際にも用いられるそうだ。
なんと、“racler する人” という名詞「擦り屋(=下手なバイオイン弾き)」まで辞書に載っている。
もし自分が外国語として日本語を勉強していたらすぐには意味がつかめない料理名を考えてみると、思いつくのはお通し、吸い物、和え物、冷奴(奴豆腐)、五目ずし……。
ざんぎやほうとう、ずんだ、なめろうなど、郷土料理だと方言や音便が入ることもあり、さらに特徴的な名前が多い。
グラタン皿からはじまった言葉さがし、下手なバイオリン弾きの駅で今日の終わりを告げられる。
下手な物書きと、下手なバイオリン弾きと、チーズの焦げる香ばしさ。
頭のなかは、旅芸者が次々列車に乗り込んでくるような賑やかさだ。
書き物机の上で繰り広げられる旅もなかなか愉しい。
2023.03.31 u
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