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24. あなたとわたしに介在する空白。

  • u
  • 2023年3月6日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月15日

*vingt-quatre=フランス語で「24」





孤立という言葉から、なにを思い浮かべるか。


あるときは、さびしさ。


あるときは、痛み。


またあるときは、逸脱であるかもしれない。



フランス語の辞書をめくっていて、「周囲から孤立する」という慣用表現を意外な場所で見つけた。


faire le vide autour de soi

 

と書かれているのは、"vide" という単語の欄。


vide は、名詞として空間や虚空、すきま(空白)、真空、虚無などの意味を成す。


同時に、形容詞として空(から)の、無人の(場所が空いている)、無為な、空虚な、などを表す。


後に続く autour de soi は、その人自身のまわりに、という意味。先の一文で、”そのひと自身のまわりに空白・虚空をつくる” ということになる。



les mains vides(からっぽの両手→手ぶらで)


le regard vide(うつろな眼差し)


avoir la tête vide(からっぽの頭を持っている→ぼうっとしている)



上のように、身体の一部と組み合わせれば馴染み深い表現になり、他方では "un passage à vide(空回り・虚脱状態・スランプ・停滞期)” など、見る角度によって違った表現になる。



空っぽのボトル、バスの空席、すきま時間、話す甲斐のない話題、真空パック、がらがらの電車、だれも聞いていないなか話し続けること。孤立。


孤立を分解すると、孤と立になる。


孤には、みなしご・ただひとりという意味が、そして立つという動作がそれに続く。



孤立をつらいと感じるのは、目に見えるときだと思う。


そこにいるだれもがそのひとの孤立を横目で見ながら、見ないフリや目配せをし、コソコソとささやきあって、笑ったりすることもある。



自分が孤立したとき、見えるのは自分以外のすべてがひとつの塊になったような景色だろう。



ひとりだけ、世界からはじき出されてしまったかのように。




孤立は、「わたしたちは同じだ」という雰囲気のなかで威力を増す。


「(場所や集団のなかで)浮いている」という表現も孤立に近い意味をもつけれど、それは同質(だと信じている)多数者の目線から発される言葉だと思う。


そこにあるのはひとかたまりの集団でしかない。


島を出て海を渡れば、またべつの島や、もっと広大な陸地が広がっているのが世界だ。と、いまは思っている。


そのことをほんとうだ、と感じられるかどうかは、島を出てこの目でたしかめるか、ここではない場所で生きるだれかや、同じ島でも違った透視図法をもつ人と出会わなければ難しい。



自分と周囲の人々との間に空白を感じることがなければ、外を知ることを切実に求めることはなかったかもしれない。




ましてや、その島だけで一生を終えようとする人にとっては、べつの陸地の話など知らなくてもいい場合もあるだろう。




外国に行くと、「わたしたちは同じだ」という前提に立たされることはまずない。


それどころか、街を行き交うひとたちはいろいろな島や陸地から集まったり、解散したりをくりかえしながら、一時的に場所や時間をともにしているにすぎないと気づく。裏を返せば、見た目や言葉の訛りで顕わになる違いによって、いつまでもその土地の人として見られにくいということでもあるけれど。




それぞれが、ひとそれぞれに生きている。


そう思えるとき、孤立という言葉が違った響きをもつ。




たとえ、今すぐにここじゃない場所へ行くことができなくても。


最後にふりかえるとき、私のまわりの空白が少しだけにぎやかになっていればいいなと願う。








2023.03.06  u  


 
 
 

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