23. 春をこじ開ける。
- u
- 2023年2月20日
- 読了時間: 4分
更新日:2月15日
*ventitré=イタリア語で「23」(venti=20とtre=3)

道端に紅梅の蕾を見かけたのは、年が明けて10日ほど経った頃だったと思う。
えんどう豆よりも小ぶりな無数の球が、ぎゅっと身を閉じ吐息を白くする寒さに耐えている。それを支える枝や幹は、もうずいぶんと前からその寒さや、沸騰した鍋を裏返したような真夏の暑さに耐えてきたのだろう。
梅の花芽は7~8月頃にできはじめると聞く。私は、梅の人生の大部分を見落として日々を過ごしているのだろう。それは、なにも花に限った話ではない。知ることができるのは、すべて一面でしかないことを日々の中で繰り返し感じる。
1月も終わりが見え始めた頃、あの紅梅の隣に並ぶ白梅に、ぽつりぽつりと花が見えはじめた。その隣であかいほうは、かたく口を結び沈黙を貫いている。
2月に入り、遠巻きにも白梅の咲き誇る白が目立つようになっていく。紅梅の蕾はわずかに口をひらくばかりで、まだ花を見せることはない。
ところが先の金曜に、とうとうその姿を拝むことができた。
わたしは、花の蕾がほころぶ瞬間にいつも目を奪われ言葉を呑む。
かたさからやわらかさへと閉じ込められていたものが解き放たれるようなゆるみ、発酵するパン生地を想起させるようなゆたかなふくらみ。無数の色彩が織りなす花弁の重なり。
日本語の “花がほころぶ“ という表現から、わたしは布や縫い目を思い浮かべる。とりわけ、使い古された布にくり返し負荷がかかったことで、時間とともに繊維の一本一本がゆるみ、奥の面が顔を出すような印象だ。
比喩として「才能が開花する」「努力を重ねればきっと花開く」 などと言われることがある。植物にとってみれば、開花は報われる瞬間などではないかもしれない。
世界に向かって花弁をひらき、蜜を運び次の世代へとつないでくれる媒介者を呼び寄せる。むしろここが正念場、といった印象を受ける。
それに、植物は自分を取り囲む環境がたとえどのようなものであったとしても、その問題に適応し、そこで生きながらえようと体を変化させていくことで、また次の花を咲かせていく。枝を伸ばし、葉を落とし、幹をよじれさせ、花粉を飛ばす。
ドイツ語で、蕾がひらくことを „aufbrechen” という動詞で表すことがある。
この動詞は2つの部分に分けられ、auf はドアを開けるような “ひらく“ イメージをもつ。brechen は英語のbreakと同じ起源をもち、主要なものでは、破る(破れる)、折る(折れる)、割る(割れる)、壊す(壊れる)などの意味がある。
雅語で、突然現れる、(泉などが)湧き出でるという意味があるようなので、しずかな冬に湧き出でる春の色としての花、そこから開花の意味に派生しているのかもしれない。
骨折や突破、崩壊、損傷といった文脈で用いる brechen は、開花のうつくしさや優美さとはかけはなれた印象がある。閉まっている金庫や錠前を工具で力任せに開いたり、氷が裂け、傷口がぱっくりと開いたりする際に用いることもあって、破壊的で、胸を拳でドンと殴られたような衝撃をともなう力強いことばだ。
英語では "burst into bloom(破裂して花の状態になる → 一斉に花開く)" という表現を連想する。
それは、まるで春をこじ開けるような鮮烈さだと思う。
家で育てるなどして間近で植物を見ていると、花はときが経てば自然と咲くものなどではないということに気づく。
土と、水と、空気と、光と、温度と、周囲のあらゆる要素が生きるために適切でなければ、植物は驚くはやさで枯れてしまう。そこには何もしないで様子を見守る時間や、待つことが重要な場合もしばしばある。
けれどそれは、植物が弱いということでは決してないだろう。
人間が干渉し、人間のための限られた空間に植物を孤立させてしまうこと。必要以上に水を与えすぎ、日光が当たりすぎたり不足しすぎたりする場所に鉢を置いてしまい、根が詰まっていることに気づけないなどして、枯れてしまうということが起こる。
藤原辰史『植物考』(2022、生きのびるブックス)を読む。
植物を見ていたつもりが、いつのまにかこの地を生きるひとびとや、生き物としてのありかたについて考えている。
思いもかけなかったような問いが、ひとつひとつ根底で弾ける。
移動という手段なしに、この場所でどうやって生き残っていけるか。
いま “浸っている“ 環境とはどのようなものか。
そこから無自覚に吸い上げてしまっている毒はあるか。
浸っている環境と切り離された、独立した個として他者や自分や現象を見ようとしていないか。
生産だけでなく、分解がみえているか。
強風にさらされるなか、大地にしがみつく根となりうるものはなにか。
ざらつきや、摩擦を忘れていないか。
外に開かれた葉のように、破壊されずに世界に侵入されうる自己とはどのような状態か。
欠落を埋めようとしていないか。
(穴があり、変化や交換があるから物事はドライブしていく。)
桜は散り、椿は落ち、菊は舞い、梅はこぼれる。
その一瞬から、また次のはじまりは息吹いている。

2023.02.20 u
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