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14. “rühren” とかき鳴らす音。

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  • 2022年10月6日
  • 読了時間: 6分

更新日:2月15日

Quatorze(キャトールズ)=フランス語で「14」




今日は夕暮れ時の風景がひと際きれいだった。


夏は過ぎ、ひややかとも形容できるほどに風は様子を変えた。自室に掃除機をかけて、開け放った窓から忍び込んでくる空気が季節を知らせる。



今日は、ひさしぶりにフランス語に触れた。前回のノートを見ると、日付は2022年8月25日だった。半年くらい経ったかと思ったけれど、1か月と少しだった。




母語や既知の言語知識によって、言語の向き不向きがあるのは自然だけれど、私のなかではフランス語が体に染み込むスピードはほかの言語に比べて遅い気がする。もちろん、使用頻度を維持できていないという理由はある。でも一番の難題は、文字と音の乖離が大きいことだと思う。


同じラテン語由来の言語でも、今年始めたイタリア語の方が、単語や文法がもっと少ない抵抗で染み込んできている感覚がある。一音一音が明瞭で、綴りに近い発音。ウーナ・ピッツァ・ブォーナ、ウン・パニーノ・ブォーノのように韻を踏むように変化する語形。



フランス語にあるエアリーな響きや、母音と母音が混ざったようなマーブル模様みたいな音、ベタ踏みじゃない感じはとても魅力的だ。喉を使う「r」、鼻を使って響かせる鼻母音、発音をカタカナに落とし込めないことが難しくもあり心地よい。音のイメージが、三角や四角からより多角形になっていく。



たとえば Oui(はい)という短い音のなかにもいろいろな表情があり、「ウィ」という単音ではなくて、風が草原を撫でるように、「ゥウィィ」と少し手前から音が始まって、少しずつ音から離れる感じがある。



中学で本格的に英語の授業が始まったとき、beautiful という単語の綴りがなかなか覚えられなくて困ったことを思い出す。高校生になって、acquaintance がまた覚えられず、苦労した。


思い返せば、government も necessary も colleague も、私がつい綴りを間違えやすい単語には、ラテン語やフランス語と関係の深いものが多い。頭のなかで、c や n を置き忘れたり、一音を構成する2、3のアルファベットがくるくる入れ替わったりする。



その上、フランス語には同音異義語がとても豊富なので、音で聞いて綴ろうとするとすぐに道に迷う。発音規則は一通り学んでも、ひとつの音から思いつく綴り方のバリエーションが多すぎて混乱するし、ひねり出した答えは大体間違っている。


mais(しかし)も mai(5月)も「メ」だし、「ソン」や「ヴェーr」の音で表す単語はひとつやふたつどころではない。



同音異義語の難しさは、外国語として勉強してみて始めて気づくことだと思う。音で判断できない分、文脈や文中の単語から連想する必要がある。正面に見えるものだけじゃなく、遠景までを見る必要がある。





これまでの私は多分、「文字の言語」に親しんできた。それが、フランス語を難しく感じる理由のひとつだと思う。その言葉と初めて出会ったときから、綴りと音を番にして記憶するように。言葉が聞こえてくると、しまっておいた文字が頭の中で光る、ここだ、と。その短い細胞間のやりとりで、ようやく意味という形で認識できているように感じる。音と綴りがいつまでも揃わない神経衰弱みたいに、フランス語ではその回路がまだ育たない。



他言語インプットの総量という点では、おそらく映画や音楽、舞台といった音を軸にした表現方法よりも、本や辞書やインターネットなど、文字の形になっているものを多く浴びてきた。音とともに学ぶ会話の授業でも、そこにはテキストとノートがあって、文字で溢れている。


お世話になった先生の一人に、会話の授業では、基本的に反復をさせて学習言語のみで教え、授業中はノートをとらせない方針を貫いていた先生がいたけれど、そのスタイルの授業を経験したのは後にも先にもその先生だけだった。私にはその方針がとてもよく馴染み、授業で習った表現をすぐ口ずさめるのが楽しかった。






音の高さ、息継ぎ、スピード、イントネーション、声色。人が話す言葉には、かならずその人の固有性がある。



あまり声の文化に触れてこなかった反動なのか、近頃は音としての言語の側面に心惹かれている。同じ言語で話していても、この人の音の繋げ方はなぜかとても心地いい、とか、リズムが合うとか、単に魅力的な声かどうか以外に、音として魅力的な話し方をする人がいる。



音を奏でる。


奏でられた音に心が動かされる。


ドイツ語には、rühren という単語があって、その両方を表すことができると知った。


rühren の基本的な意味は、かき混ぜること、動かすこと。そこから、比喩的に、胸を打つという意味でも用いられる。


作りかけのスープに溶き卵を入れてかき混ぜたり、体の一部を少し動かしたりしているかと思いきや、一方では、誰かの演説が涙を流すほど聴衆の心を揺さぶるときにも用いられている。


形容詞の rührend は、感動的で涙ぐましい様子のこと。英語だと、I’m so touched とか touching が近いかもしれない。



Er rührte keinen Finger.(彼は指一本動かさなかった)という言い回しは、なにひとつしようとしなかった(怠惰なニュアンス)という意味になる。


Jetzt müssen wir an den Kern der Angelegenheit rühren.(我々は今この問題の核心に触れなければならない)という表現では、触れる・取り扱うという意味になっている。物事の核心を表す der Kern(核・果物の種) という単語もおもしろい。




物理的・比喩的な意味をもつ rühren の意味で、なによりいちばん目を引いたのは、(楽器を)かき鳴らすという意味だった。かき鳴らす楽器ときいて、私は即座にギターや弦楽器を思い浮かべる。胸を打つという意味も相まって、奏者が無心で、切実に音を鳴らす様子が目に浮かぶ。



DUDENオンラインで意味を調べてみると、原則的にはドラム(太鼓)を叩くこと、ハープやリラなどの弦をはじきながら鳴らすことなどが挙げられている。しかも、gehobene Sprache(格式高い言い方)で、veraltend(古くなった使い方)らしい。この単語自体は身近に使われているけれど、音楽的な意味で使う人はもういないのかもしれない。





勝手ながら、この言葉が「かき鳴らす」という意味をもつことに期待したのは、かき混ぜる・動かす・触れるという意味があることとの関連性、多義語ならではの含みだった。体の中に渦巻くなにかに突き動かされて、それを表そうとする姿を描写できるのではないかと願った。



ただ良い音を出すのでも、表演でもない、言葉にならないその姿を。



私は、ことばをかき鳴らしたい。




そう願った瞬間に、それは叶わないと知っていながら。


かき鳴らすとは、無心でいて切実。





冬の気配が少しだけ見え隠れする夜に、まだ鳴らすことのできない響きを想う。



2022.10.05  u  

 
 
 

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