8. 履きなれた靴はどこにある?
- u
- 2022年8月4日
- 読了時間: 4分
更新日:5月27日
*Otto(オット)=イタリア語で「8」

最近は久しぶりに英語とドイツ語で会話をすることに焦点をあてている。
大学を出てからは、メディアから受け取り、読み取る勉強が多かったので、久しぶりの即時的で双方向的なやりとりに、体を使っている実感がある。
勉強というと頭(脳味噌)を使う印象が強いけれど、言語を習得することは、唇や舌、喉の使い方のような即戦力になる身体感覚を得ること以外にも、会話のリズムの中で、相槌をうったり言葉を返したりする反応についても、スポーツのように練習と反復を必要とする類の技術だと思っている。
誰もが忘れてしまう、第一言語を習得するときのこと。
ぼんやりしながらドイツ語辞典をめくっていると、また気になる単語にはっと目を覚まされる。
eintreten は、部屋に出入りする、蹴破る、踏み抜くなどの意味とともに、「(あたらしい靴を)履きならす」という意味がある。日常語としては、"Schuhe einlaufen" の方がより一般的かもしれない。
eintreten は、ドイツ語に特徴的な分離動詞という種類の動詞で、ein と treten に分かれる。treten という動詞は、(~に向かって)歩む、歩み入る、という、方向性と境界を思わせる意味をもつ。
目標物に向かって歩み寄るときや、ドアや出入口がある場所に出入りするときに使う。
靴を履いて力強く地面を踏みしめ、さらには踏み込むことで、靴が作られた際の形、かたさをなくし、足に馴染むところから「履きならす」に転じたのではないかと想像する。
実際の会話ではまだ出会ったことはないけれど、いつか本か何かでまたこの表現に出会えたなら、きっと旧友との再会さながらの感動を覚えるに違いない、と思いつつ辞書をめくる。
私にはこの「履きならす」という行為が、ドイツ語では非常に能動的で、自ら力を加えて積極的に靴へ働きかける動作に思える。主体的に踏み込む逞しさ、環境に働きかける力を感じる。
その一方で、日本語での「履きならす」は、履く・慣れる・させるという三つの動作が合わさった複合動詞だ。そのうち、靴に対して力をかけるのは履く部分だけで、慣らすという動作の力の方向は、どちらかというと靴ではなくむしろ主体自身に向けられている印象を受ける。
「履きなれた靴」という言い方になると、その印象がより色濃くなる。
靴が自分に慣れる(自分に合わせて形を変える)ために力をかけるのではなく、靴擦れを繰り返しているうちに自分が靴に慣れるのを待つといったイメージがある。その頃には靴も形を変えて馴染むというような。
履きならす、という状態変化の判断基準が、靴ではなく、靴を履く当人の変化に集約されているように見える。
そもそも、日本語の「慣れる」という行為は、受動的な側面が強いと感じる。靴が特定の状態(形、かたさ、質感等)になれば「慣れた」と言えるという基準はなく、その人が靴擦れをしなくなったら、足に馴染んだと思えたら、「慣れた」とされるのだろう。
「ここでの生活には慣れましたか?」と聞かれれば、なにより、時間の経過を思い起こすものではないか。
その自然な反復の中で、慣れていくものであるかのように。
ちなみに他の言語を見てみると、英語では "break in" 、フランス語では "briser" (英語のbreakと同じ意味を持つ) が「履きならす」という意味になるようだ。
先日、何気なく語学番組を見ていてふと感じたことがある。学習者役のある俳優の方の言葉が、台詞という枠を出て、自分のことばになっていくのが目に見えてわかった。
意味や文法を理解して、会話の適切な場所で言葉を投げるということ以上に、自分の身体で消化して、ひとつひとつの言葉を体得しているという感じがした。
発している音、その言葉のもつ意味、その言葉が及ぼす影響力。
それぞれの要素を好奇心で迎え入れ、体に馴染ませていく。
これまで同じ番組シリーズを見てきたなかで、学習者役の多くの方が、日本語でいう「履きならす」感じの印象だった。一方その俳優の方は、靴が自分の足に合うよう積極的に力を加えている感じで、まさに eintreten の感じがする。
それは、どれだけ長い時間をかけてきたかという制約に支配されることなく、靴が元のかたさを失うほど、あらゆる角度から力を加え、何度も踏み込み、ときには靴擦れでひりひりする思いもしながら、しっくりくる歩き方や履きこなし方を試しているということなのだと思う。
私は、日本語を履きならしているだろうか。
言葉を知るうちに、靴を履くことにこだわりがなくなってきたようにも思う。
あたらしい言語を履きならせず早く走れなくても、足に合わなくて擦り傷ができても、楽しんでいる。
履きものとして扱うのではなく、オブジェクトとして、観察し、紐を通し直し、上から下、横から、そして中へ、ただひたすらにブラシをかけて楽しむのもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、今日も靴箱からひとつ取り出して
垂れ下がった紐を蝶々結びにし、
玄関のドアをあけて一歩踏み出すのだ。
2022.08.04 u
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