11. 蟹とベビーとカブトムシ。
- u
- 2022年9月1日
- 読了時間: 4分
更新日:2月15日
*on bir(オン ビル)=トルコ語で「11」

たまに、ほとんど使う頻度はないに等しい単語でも、別の言語でこの動作はなんというんだっけ?と気になって辞書をめくることがある。本や映像や音声コンテンツの中で、気になって調べてみて初めて、それが身近な動作のことだったと知ることもある。
おもしろくて書き残す言葉は、そんな風に偶然飛び込んできたものが多く、固有な表現やおもしろい言葉を検索して探しても、ときめく表現にはそうそう出会えない。
先日ドイツ語辞典に目を走らせていると、辞書特有のインディアンペーパーをめくる軽い音とともに、ひとつの単語が鮮やかに目に飛び込んできた。
◆ krabbeln
Krabbeは、蟹のこと。
口語表現では、活発で元気な愛らしい子どもという意味もあるらしい。今も使われているのかは分からないけれど。
WEB版DUDENでは、
・munter 快活で元気、陽気な
・drollig ひょうきん、滑稽、愉快、おどけてかわいらしい
・niedlich 愛らしい、キュートな
という単語で “Krabbe” な子どもについての説明がある。
元気いっぱいで陽気な子どもを、俊敏に浜を横歩きする蟹に見立てるなんて、とても愉快だ。
動詞の ”krabbeln” は、蟹の動詞。文字のまま日本語に直訳するなら「カニする」。
意味はいたってシンプルで、蟹が歩くということ。あわせて、蟹が歩くように、生き物が前後もしくは左右の足を使って、地面近くをごそごそ歩くことを意味する。
「ハイハイ」という、あの赤ん坊特有の動き。
カブトムシのような甲虫や、テントウムシがよちよち動くことも表せる。
カジュアルな口語表現では、かゆい、こそばゆい、かゆみをおこすという意味でも使えるようだ。衣類が肌に合わなくてチクチクする、というように。
私は、虫は平気だけれど、無数の脚が同時に動く様子は苦手なので、その動きを想像しただけでわき腹と腕の内側あたりが krabbeln(むずむず)してきた。
英語で蟹といえば crab(クラブ)、対応するドイツ語は、“Krebs” という別の単語だ。
蟹全般を表す Krabbe に対して、Krebs は、ザリガニと、オマールエビのようにハサミのあるエビを表す。生き物の分類は、言語圏によって細かさや分類方法が違っていておもしろい。
あとは英語のクラブとほぼ同じで、病気の一種である癌と、十二星座の一つ、かに座(かに座生まれの人)を指す。
Krebs にも “krebsen” という動詞があって、
・ザリガニを捕る
・あくせくする
・はいずるように進む、よじ登る
・あとずさりする ※主にスイスで話される
というように、「カニする」とは少し趣の違う言葉らしい。
“Krebsgang(カニ歩き)”という言葉まであり、意味を見ると、あとずさり・衰退を表すとのこと。ドイツ語には Rückschritt(後ずさり・後退・反動)という、「進歩」の対義語として一般的な言葉もあるけれど、カニ歩きには、生き物としての後退、せめぎ合いのようなものがより色濃く滲み出るような気がする。
ドイツ語の「地面を這う」単語には、“kriechen” という言葉もある。英語でいうところの crawl だ。(水泳のクロールは、ドイツ語では Kraul・kraulen という別の単語がある。)
この単語は幅広い表現力のある言葉で、主に次のような意味がある。
・(地面を)這って進む ※動物・人に使える。人なら四つん這いかほふく前進。蛇もOK。
・ひなが卵から這い出る
・ベッドや机の下にもぐり込む
・(特に車両・車列の形をした乗り物が)のろのろ進む
・(時が)ゆっくり過ぎる
・(上に成長しない植物が地表で)伸びて広がる
・(人に)へつらう、ぺこぺこする、従順にふるまう
人間の四つん這いや鉄道の進む様、地衣植物の広がりと時が過ぎる形のない感覚が、同じ語で、固有のイメージを分け合いながら同居しているところには特に好ましさを覚える。ドイツ語を学んでいると、こういう見立てのおもしろさに出会うことが多い。
こうしてみると、krabbeln(カニする)は、数ある「這う」動詞の中のひとつということになるだろう。
使い分ける基準は、動作主である生き物のフォルムと、動きのはやさにありそうだ。
kriechen(這う) は、動物も人も這えるものならなんでもOKという感じがある。はやさも、蛇のように比較的俊敏なものから、人間、ひな鳥と様々。
一方 krabbeln(カニする) は、蟹、甲虫、新生児、幼児など。みなが這う姿には共通して丸みと重みがあって、細い脚に比べて胴が大きく、手足で全身を運んでいるイメージ。
海中の蟹のハイスピードは予想がつかないけれど、その中でも、ごそごそ歩くというこの言葉は、十分に目で追えるはやさのことだろう。それに加えて、リズムは不規則でどこか不安定な印象が目を離せなくさせる。
甲虫は、ドイツ語で “Käfer(ケーファー)”。世界的に有名なドイツ発自動車メーカーの、あの丸みを帯びた車種をドイツ語で言うときの単語だ。
蟹、ベビー、カブトムシたちに向けられたいにしえからの人々の目線が、あたたかく、それでいてどこか、つい笑ってしまうようなユーモアを含んでいるように思う。
2022.09.01 u
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