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26. 望遠鏡をのぞき込む遠さ。

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  • 2023年4月17日
  • 読了時間: 4分

更新日:2月15日


*Seksogtyve(セクソテューヴ)=デンマーク語で「26」(seks=6, tyve=20)





遠さの種類について改めて考えたことがなかった。


けれど、すこし前にドイツ語で話していて、ふとした疑問が会話の進路を変えた。


最近私が読んだ本について説明していたときだった。


遠さ。人と人の間に横たわる、距離。遠さという意味でまず思い浮かんだ言葉が “weit” だった。


weitは、ある場所へ向かうときに、その距離を問う Wie weit? として用いたことがあったし、weiterという比較級になると、さらに(先へ)、引き続き、という意味になる。物理的な遠さも時間的な遠さも表せるなら、心理的な遠さも表せるだろうと思っていた。



けれど私の意図は言葉に乗らず、「あなたが何について weit だと言いたいのかがわからない。ひょっとして entfernt のことですか?」と言われた。


entfernenという動詞なら、取り除く、はずすという意味で何度も用いたことがある。


形容詞の entfernt は、遠く離れた、(中心とされる場所から遠く)へんぴな、という意味とあわせて、隔たりのある、という意味をなすとこのとき初めて知った。



物理的な距離に関係なく、他者との心理的な遠さも表せるこの語を知って、私はなかなか嚙みきれない塊がほぐれて繊維になり、飲み込めたような気がした。



会話の後で、改めて「遠い」という意味の言葉を調べてみると、”weit” “fern” “entfernt” という3つが浮かび上がってきた。


weitは、さきほどのような物理的な距離に加えて、幅のある広がり、たとえば「広義の」というときや、「広い」層に支持されているというときの広さも担う。いつも「わたし」の目線から見た距離の遠さを表す。ここから500㎞先にある街は weit だということ。



一方 fern は “fernsehen(テレビを見る)” “Fernseher(テレビ)” などの表現で馴染み深い言葉だ。


ほかにも “Fernsteuerung(遠隔操作)” “Fernfahrer(長距離トラック運転手)” などがあり、例を見ていくうちに、ある視点から見た2点間の遠さを示す例がつづく。


2つの座標を結ぶ透明な線が見えてくる。それは、ときに通信という無機的な響きを伴い、またあるときはアウトバーンを疾駆する貨物車の轟きを帯びている。




英語では “distant” “far” ”remote” がそれぞれ対応するだろう。



絶対的な距離の大きさを示す distant と、数値によらない主観的な遠さを表す far 。そして、離島などを表すときに、都市の中心や特定の点から遠いことを意味する remote 。



ここ数年で一般的になったリモートワークという表現。勤めている会社の社屋など、元々主な仕事場としてあった場所にピンが立っていて、そこから離れて仕事をすることだから、ディスタントワークでもファーワークでもなく remote と言うのだろう。



特定のオフィスを主軸にしながら多拠点で働く場合はテレワークと呼ばれる。


tele は、ドイツ語の fern と重なる部分がある。telescope(望遠鏡)も、ドイツ語では、Teleskop のほかに、Fernrohr(遠管)と言うことができる。


何kmあるのかもわからない遠方と、電波や周波を介してつながること。








遠さと相対するものは近さだ。


近さを意味する一般的な語に “nahe” がある。


ここでは、遠さのように分類がないのだろうかと疑問に思う。



近さを表すべつの言葉を探しても、”in der Nähe von(~の近くで)” という慣用表現のように、nahe(近い)や Nähe(近さ)を用いる場面とばかりよく出会う。




How far?/ Wie weit?(どれくらい離れているか)と問うことはあっても、How near?/Wie nahe?(どれくらい近いか)と人に聞くことはないことに気づく。



遠さにあって、近さにないもの。


「距離」という熟語も、近さではなく、へだてるという意味の “距” と、”離れる” から成り立っている。



英語では、近いというときに “close” と “near” が思い浮かぶ。


ほかにも近接を表す ”proximate” があるけれど、近似値や差し迫った時間、直接的な因果関係などの意味合いが強く、「近さ」とは一線を画す印象だ。



close は主観的、near は客観的・絶対的な近さというイメージがある。


close(近い)は動詞の close(閉じる)と同義で、2つの物の間が空いていないこと、密接していることから、ぴったりとくっついた近さを表していると知る。そこから、”close friends” のように親しい間柄についても用いられる。




ドイツ語では「親密な」という意味で、eng(狭い)を使うこともできる。


enge Freunde といえば親しい友人、eine enge Freundschaft といえば親しい仲。


狭い通路、ボディラインにぴったりとくっつくタイトスカート、行間が埋まるくらいびっしり埋め尽くされた文字、視野の狭さや限定されたもの、そういう意味が eng にはある。同じく「狭い・幅のせまい」という意味のある schmal には、親密さの意味はない。




親密さとせせこましさ。


ひろがりのある遥かな遠さと、切り離され、隔絶の向こうへと対岸を見るときの遠さ。


まだ知らない、言葉にしたことのない、遠さや近さの感覚。


必ずしも言葉という表現方法で、知覚するものではないかもしれない。


話し相手の小さな問いからひろがる宇宙。


かかわる人や言語を介して ”Ferne(遠く)” に思いを馳せる。


そのときに自分を突き動かすような興味や楽しみが、今の私を entfernt な状態から交信可能な fern へと導くのかもしれない。


向こう岸の、世界へと。



2023.04.17  u  

 
 
 

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