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28. 道草の求心力。

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  • 2023年5月27日
  • 読了時間: 4分

更新日:2月15日

*dvadeset i osam(ドヴァーデセッティオーサム)=クロアチア語で「28(dva:2×deset:10+osam:8)」




言語にふれていると、ふとした瞬間にこれだ、と思う言葉との出会いがある。


これだ、と思うとき、そこには意味が伝わるということ以上のよろこびがある。



人が言葉を発するとき、意味を伝えるためにはいくつもの方法があって、言語が変われば、そのアプローチ方法も変わる。ときに直接的に、ときに予想もしなかったところから語りかけてくる。



例えば、あることが “気になる” という状態について伝えたいとき。

言語によっては関心を持っていると表すこともあるし、懸念していると言う場合もあれば引っ掛かっているということもあり、あるものが私にとって目立っている(→私の注意を引く)という表現方法もある。


日本語の「気になる」という言葉は、好奇心からくる前向きなものから、不安や疑問などに由来するひっかかりのようなものまでを含んでいて、文章全体に張り巡らされた文脈から振り分けられる。



こうして同じ方向に向かう別の道程があることを知ると、それまで認識していた言葉の輪郭線がほどけて、あたらしい糸と結び直される経験をすることになる。


大きな発想の転換、発見、愛着を伴う場合は、結び目となって心の中に残り、世界を認識する神経のひとつとして機能しはじめる。


私の場合、どういうわけかそうした出会いはドイツ語に多い。




◆Gewissensbiss(良心の噛み傷)


良心の呵責という言葉をどうやったらドイツ語で伝えられるのか頭を抱えていた。


罪悪感、自己批判、反省、どれも近い意味だけれど、言いたいものとは違う。知人に「 "Gewissensbiss" では?」と言われ、雷に打たれたような衝撃が走った。


直訳的にみると、Gewissen(良心)があまりにも強く心に存在することで beißen(噛みつかれる)こと、それによって生じる傷、痛みになる。


beißen には、歯のある生き物が噛む動作以外にも、寒風が刺すようにしみること、表現の辛辣さなどの意味もあるので、心の内壁に噛みつかれるような侵食の気配が感じられる。


22個目の記事「Zweiundzwanzig. こころを齧りとられていく夜に。」で扱った “nagend(がじがじと齧る→心を苛む)” と近いものを感じる。





ちなみに、良心という言葉を含む gewissenhaft(Gewissen=良心+haft=~の性質がある)という言葉は、良心的、入念・精密などの意味で用いられ、対義語の gewissenlos は不誠実・無責任と訳される。


「良心」という言葉は conscience の訳語として定着した語らしいけれど、その定義を改めて問われると、分からなくなっていく。



責任といえば “Verantwortung(責任)” がまず思い浮かぶ。自分が担っている仕事や果たすべき義務など、客観的に見て領域が明確なものにおいて、外的要因からの責任だと考えることができる。


一方、さきほどの良心に由来する責任は、自分の良心に恥じない働きかけをすることという内向きのベクトル、もしくは、普遍的な善に対する気質的なものだと推測できる。



こうした違いを見つめるとき、一色に見えていた絵具が薄いグラデーションになっていることに気づき、近いものを形づくるあたらしい言葉の輪郭線をまたひとつ見出せる気がする。



◆sägen(のこぎりを引く)


この言葉を知ったきっかけは、知人が "Sägewerk(製材所)" という単語を教えてくれたこと。


sägen はのこぎりで木材を裁断すること。


いびきをかく(schnarchen)ということを、スラングでは "のこぎりを引く" と表現できることを初めて知った。日本語の、こっくりこっくり船を漕ぐ(居眠りをして首・体を揺らす)という表現を連想した。


鼻にかかったいびきの重低音を、ギーコギーコ、ギーコと反復的に音をたてる製材の様子に見立てていて、つい使いたくなる言葉のひとつだ。




◆stämmig(幹っぽい)


人の体型をあらわす表現は数えきれないほどある。あるとき、大柄でがっしりとしていて、ほどよく筋肉もあるたくましい印象の人について話していた。


力強いとか、アスリートのようなという言葉を並べていると、stämmig とも言えますね、と相手の方が教えてくれた。


Der Stamm は木の幹のこと。樹幹のようにどっしりとしているなんて、安らぎと癒しを感じさせる最高の誉め言葉だと思った。


実際はそういう観念的な意味合いよりも外見的な側面が強いようで、ずんぐりしたとか、体の大きいという意味なので、言われてうれしい言葉ではないらしい。



大きな会社の支店のことを Zweigstelle(小枝/枝葉・所)と呼ぶのは、英語の branch store/office とよく似ている。


ドイツ語では、行きつけの居酒屋というときに Stammkneipe(幹・居酒屋)といったり、常連客のことを Stammkunde(幹・顧客)と呼んだりする。ドイツ語を通して初めて知った感覚で、とても新鮮で好ましい。






何気なく道を歩けばひとかたまりの緑に見えるものが、よく目を凝らしてみると形のうつくしさ、色の混交に気づくように、言葉を知ることはいつまでも終わりのない遊びだと思う。


そのひとつひとつが、求心力をもって語りかけてくる。




2023.05.27  u  

 
 
 

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