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55. いちばん近くにある光。

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  • 7月10日
  • 読了時間: 4分

更新日:10月4日


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東山魁夷『風景との対話』冒頭の「風景開眼」に、こんな一節がある。


冬はとっくに過ぎたはずだのに、高原に春の訪れは遅かった。寒い風が吹き、赤岳や権現岳は白く、厳しく、落葉松林だけがわずかに黄褐色に萌え出している。ところどころに雪の残る高原は、打ちひしがれたような有様であった。その中に、昨年の芒が細く立っているのが不思議であった。深い雪と、烈しい風の冬を経て、頑丈な樅の枝でさえ折れているのがあるのに、どうしてこの細々とした茎が立ちつづけていたのだろう。


 (中略)


やがて、再び春が廻ってくる。さて、あの芒は———雪が降ってきた時は、だんだん下から積って、そのまま倒れずにいるうちに、しまいには、すっぽりと雪の中に蔽いかくされてしまう。雪がとけると、頭のほうから出て来て、こうして春に残るのである。私はこの弱々しいものの、運命に逆らわないで耐えている姿に感動した。(東山魁夷『風景との対話』1978  新潮社 pp.49-50)



芒の生き様に胸を打たれるひとりの人間の姿に、心が重なる。


根のある植物は、根を張った場所で生き抜く。たとえ世界がどのように変わっても、その場所で生きる。



何年も定期的に同じ場所を歩いていると、毎年必ず同じ季節に咲く花や、花の後で鈴なりに木を彩る実に気づく。生活が変わっても、何かを失っても、草木はそこに生きていることに気づいて、言いようもなく、心の底の方から励まされることがある。


あの日見た花はもういないけど、今日も花は咲いている。草が揺れている。そのことが、過ぎ去るだけのこの生に焦らず、怯えず、今を「見つめる」ことに立ち返らせてくれる。何かをしよう、為そう、より良くしようなどということを脇に置いて、今起こっていることをただ見つめ、感じることに。


 

 


ドイツ語の widerstandsfähig という一語が頭に浮かんだ。

 

Der Widerstand とは、抵抗・レジスタンスのこと。元となる動詞の widerstehen は、何かに対して「向かい立つ」ことを意味する。fähig は、能力がある・できるという意味を付加する接尾辞だ。この一語で、アスファルトのわずかな割れ目から顔を出すタンポポのような、環境への抵抗力がある状態を表せる。

 

 

抵抗やレジスタンスという言葉からは、爆風にも灼熱の太陽にも折れることなく立ち向かい、跳ね返すようなたくましさ、不屈などを連想する。雑草魂ともいうべき、強い響きがある。

 

一方で、植物的な Widerstandsfähigkeit (抵抗力) を考えるとき、そこには心理学などで用いられる「レジリエンス」の意味での抵抗力、耐久力もあるように思う。resilire (跳ね返る) という意味のラテン語に由来するこの言葉は、困難や病に対する、自発的な癒しを意味する。


物理の分野では、外からの圧力に対して押し戻そうとする力を指すらしい。一度外的作用によって押されたり曲げられたりしたものが、もとの形へと戻っていく作用を表す elasticity という言葉もある。

 

 

正常化ではない、治癒と癒し。

 

 

 

内側にある光。

 

 

私が忘れてしまうその力を、植物はいつも静かに、発揮しているように見える。

 

降り積もってくる雪とともに時を過ごし、春に別れる芒のように。

 

 

 

部屋の窓辺にある鉢植えの、枯れ枝のような一本の茎のそばで、五日ほど前にちいさな緑が顔を出した。

 

茎の方はもう枯れてしまったのか、気候が暖かくなってきても、日差しが強くなっても、葉を落としきってからちっとも変化がない。それでも、たまに水を注ぎ続けた。

 

茎の根本から現れたちいさな緑は、日に日に大きくなっていく。夕方には朝見たときより大きくなっているのが分かるほどの成長速度で変化している。先端が割れ、ついに葉ができてきたことで、ようやく茎の方と同じ種類だと判明した。

 

 

葉の一枚一枚は、小指の爪の先よりもちいさい。成長途中の葉は柔らかく、脆い。色も、透けるような淡い緑だ。ようこそ、世界へ。どうか、無事に育ってほしいと願う。

 

 

 

植物がすくすくと育っている様子、青々と茂っている姿を見ると、元気が出る。

 

それは、そこに生きていることが示す、魂の抵抗感。

 

 

生きる主体性、independence だと思う。

 


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2025.07.10  u  

 
 
 

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