54. カタツムリの家。
- u
- 6月12日
- 読了時間: 3分

"shed the self" という句を本の中に見つけた。
自己を脱ぎ捨てる。
shed は、蛇が脱皮をするように、木々が古くなった葉を落とすように、もう必要のないものから自然と離れ、あたらしい状態になることを意味する。生き物の毛や羽が生え変わる様も表す。
似た意味の molting という語は、shedding より全身に及び、その変化の途中で、命の危機にもなりかねない脆弱性を帯びる場合に用いられる。身を守る皮膚や鱗、毛や羽が一度失われ、再びこの世界に生まれ直すように変化する。
shed の意味として、"to get rid of something that is no longer wanted (もういらないものを取り除くこと)" (https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/shed_1 『Oxford Learner's Dictionaries』)と辞書にあるのが興味深い。
そろそろ取り除こう、と思って行うというよりも、古い角質が朽ち果て、剥がれ落ちるようにして変化する意味合いが強いようだ。体はもう変化し始めていて、時が流れるように、移り変わっていくニュアンスがある。
ditch という、それに似た言葉を思い出した。
"ditch something/somebody (informal) to get rid of something/somebody because you no longer want or need it/them ([口語的]もう必要のないものや存在を捨て去ること)" (https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/ditch_2 『Oxford Learner's Dictionaries』)
Ditching (飛行機などの不時着水) としても知られるこの語は、字義の説明だけを見るととてもよく似ているけれど、shed よりも意図的に、見限るような「捨てる」の意味合いが強い。捨てる、手放す。解放し、自由にする。
殻を破る、という慣用表現は、革新や打破を連想させる。
これまで自分を守り、同時に自分を閉じ込めてきたものを打ち破り、そこから脱却すること。
自然に移り変わるものではなく、決断としての脱皮をするとき、体感したことのない世界で、身体はどのように変化していくのだろうか。どうやって次の殻を形成し、身を守っていくのか。防御壁のない身体が傷つかないように、慎重に古い殻から slip out (抜け出す) のも、一苦労だろう。
ドイツ語で、sich in sein Schneckenhaus zurückziehen (自分のカタツムリの殻に閉じこもる) という口語表現がある。殻のことを "Schneckenhaus (カタツムリの家)" と表現するところがいいなと思う。カタツムリの目線になって、ちいさくて自分ひとり分の居心地のよい場所を思い浮かべられる。
ヤドカリを意味する、Einsiedlerkrebs・Eremit (隠遁者・世捨て人 ※英語でもhermit crab) という名前も、ひっそりと住まいを移しながら暮らしていく生き物によく似合っている。
カタツムリやヤドカリのことを考えていると、子供のころにテレビで流れていたアニメーション作品 Jam the HOUSNAIL を思い出した。
瓦屋根の小さな家を背負ってゆっくり進んでいくジャム、時計台を背負った老先生、クラスメイトは風車、茅葺屋根、各々自分の家を背中に乗せている。
ジャムには家族がいて、家族であっても一人ひとり、背中に家をもっている。眠るとき、各自背中の家に引っ込んで、少し間隔をあけて並んでいる様子から、個としての関係性が垣間見える。
自分が心地よいと感じられるカタツムリの家は、どんな形だろう。自分では見ることができないけれど、今はどんな家を背中に乗せているのだろう。
生まれてくる体は選べない。言葉は、そんな選べない生の前提条件を重力のように受け入れ、耐え続けるだけではなく、環境に働きかけることができると教えてくれる。
言葉を知り、見える世界が変わる。ただ視界の中に景色が見えていた状態から、視点や角度、焦点距離を変え、世界を見ることを覚える。言葉を話し、知らなかった場所に行く。人と出会う。
あたらしい言葉との出会いは、あたらしい世界との出会いという側面もあるけれど、選べなかったもの、受け入れるしかなかったものを一時的にでも手放し、そこから這い出るための力を与えてくれる。
ただ、一歩、また一歩と歩いていくのみだ。
2025.06.12 u
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