42. マチエールをなぞる。
- u
- 2024年7月29日
- 読了時間: 4分
更新日:2月15日

ドイツ語でマッチ棒のことを、Streichholz(シュトライヒホルツ)という。streichen は文章に線を引いたり、(少し硬い言い方で)パンにバターを塗ったり、水平に擦る動作のことで、das Holz は木材。文字の通り「擦る木」となる。
日本語にも輸入されている英語の match(マッチ)は、古フランス語の meiche(ろうそくの灯心)に由来していることを知ると、突然降って湧いた言葉ではないとわかる。けれど、物心ついたときから手元にあるこの「マッチ」という名前よりも、擦る木(シュトライヒホルツ)のほうがとても鮮明に実物を想起できる。
飾り気がなく直接的な表現である一方、擦るという動作が名前に入っていることで、マッチを擦ったときのザラっとした音や、手元の軽い摩擦、頭薬が焼けるにおいなど、情景がいくつもはっきりと浮かんでくる。言葉のもつそういう鮮明さや明瞭度の高さが、私を捉えて離さないのかもしれない。
ドイツ語の名詞には、Streichholz のように、既存の単語を適切に、論理的に組み合わせることで物体や現象をありありと表現するものがある。
例えば、好奇心旺盛なという意味の neugierig という言葉がある。
neu は新しいこと、gierig は貪欲な・欲する、という意味だ。"Gierig nach Neuem(新しきを欲する)" と言い換えることもできる。好奇心よりも、もっと肌感覚に近い。
物事を論理的に、理性で捉え意思決定する人のことを Kopfmensch(頭人間)という。一方で、感情や感覚、直感によって行動する人を Bauchmensch(腹人間)という。白熱電球は Glühbirne(白熱西洋梨)で、そう言われてみれば、天井から吊り下げられた灯りが木に実る果実に見えてくる。
手本・模範は Vorbild(前方の絵)だし、海を泳ぐイカは Tintenfisch(インク魚・墨魚)で、野に咲くタンポポはロゼット状の葉の形状から Löwenzahn(ライオンの歯)と呼ばれている。
海産物・シーフードは Meeresfrüchte(海の果実・実り)、ハンカチは Taschentuch(ポケットの布→携帯布)。
カフェやレストランで水を注文するときに、„Möchten Sie ein Sprudelwasser(沸き立つ水→炭酸水) oder ein stilles Wasser(静かな水→ミネラルウォーター)?“ と聞かれると、「静かな水でお願いします」と答えている自分に面白みを覚えたこともある。
引用符(クォーテーションマーク)は、口語で „Gänsefüßchen“ (ガチョウのちっちゃな足)。一度その名を聞けば、小説のなかで会話文があるたびに、ドイツ語独特の左下と右上から文章を挟む引用符が、ガチョウの歩き回った足跡に見えてくる。
こうした複合語の絵画的で高解像度な表現は、実像のある対象に限らない。
ボーイスカウトの活動や参加者のことを Pfadfinder(小道の発見者)というのは、奥行きのある名前だと思う。der Pfad は、道のなかでも舗装されておらず、森や自然の中にあって、脇道というニュアンスがある。
ワンダーフォーゲルといえば、青少年が山野で野外活動をしながら精神的・肉体的に己を鍛える活動のことだ。この名称は、ドイツ語の "Wandervogel(渡り鳥・放浪者)" に由来する。
擬音語・擬声語を意味する die Onomatopöie(オノマトペ)は、物の名前や言葉をつくる、という後期ラテン語・ギリシャ語に由来する。加えて、ドイツ語ではもうひとつ、Lautmalerei(音声芸術絵画)という言葉がある。
音を描くアート。“芸術“ を意味するドイツ語の Kunst や英語の art には、「技」や「芸」の意味がある。日本語では熟語を分解しないとその意味は出てこないことに気づく。
上で書いてきたような言葉たちが私の目に魅力的に映るのは、言葉を生成する際の比喩と物の見立てが新鮮で発見を伴うからだと思う。それに、たしかに、と思える説得力がある。新しい方程式を与えてくれるのだ。
そういう言葉をドイツ語で bildlich(比喩的な)といい、"Bild(絵・写真・イメージ)lich(的な)" という名の通り、動作や現象の一瞬を切り取り克明に描いたドイツ語の表現は数知れない。
暦に関連する日本語の語彙には、一目ではその意味の全容を掴めないものもある。夏至や冬至はドイツ語で Sommer-/ Wintersonnenwende(夏・冬の太陽の転換点)として、日照時間が最も長く短い日であることを表し、春分や秋分は Frühlings-/ Herbsttagundnachtgleiche(春・秋の昼と夜の均等)で、その名の示すところがそのまま読み取れる名前になっている。
英語の soulmate は直訳すると "魂のつがい" 、ドイツ語では der Seelenverwandte(精神の親類)という。die Verwandtschaft には、親戚関係や血縁関係という意味と同時に、複数の物事の類似性や親近性の意味がある。
法務的・事務的な響きのあるこの言葉によって、その近さはいっそう信憑性の高いものになり、背後に共通の起源という気配すら醸し出される。
休暇シーズンのこの時期には、 Fernweh(遠くへの痛み→遠い地・国々へのあこがれ)を感じている人もいるだろう。
長い旅路の果てには、 Heimweh(家・故郷への痛み→郷愁・ホームシック)を覚えるかもしれない。
あたらしいことばを知ることは、自分の世界を名づけ直すことだ。
その色で、音で、かたちで。
上書きするのではなく、書き足していく。指先で、絵の具の表面をなぞるように感覚を研ぎ澄ませる。見える世界が、感じ取るものが、少しだけ以前と違ってくる。
もう少し、歩いていく。その先に、今とは違う景色が、まだ知らない私が存在しているはずだ。
2024.07.29 u
Kommentare