41. 真夏の小宇宙。
- u
- 2024年7月19日
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更新日:4月1日

7年前のちょうど今頃。夏を過ごした街には、Bächle(ベッヒレ)という水路があちこちに流れていた。市内を流れる Dreisam(ドライザム)川の分枝で、「誤ってこの溝に落っこちた者は、この土地出身の人と結ばれる」という迷信があることを地元の方が教えてくれた。
石畳の旧市街を歩けば、ちいさな子どもが膝まで Bächle に浸かって玩具の乗り物を水に浮かべていたり、家の前に流れるこの水路にちいさなビオトープを設けていたり。ハーフパンツ姿の老若男女が真夏の陽光にきらめく水辺で、めいめいに涼をとっていたりする様子がとても好ましく目に映ったのを鮮明に覚えている。

ドライザムという川の名は、ドイツ語を学んだことがある人にとっては不思議な響きをもつかもしれない。アルファベットとともに必修の Eins(1)、Zwei(2)、Drei(3)。 einsam(アインザム)は「ひとりきり・孤独な」、zweisam(ツヴァイザム)は「ふたりきり・一緒に」という意味がある。dreisam という言葉は聞き覚えがないけれど、古くは3つの川の合流点だったり、3つの領地を隔てる国境の役割を果たしていたりしたのかな、という想像を働かせる名前だ。

Bächle というのは地域的な呼び名で、語形成をみると、小川・細流を意味するドイツ語の Bach(バッハ)に、ドイツ南西部方言のアレマン語の縮小辞(Deminutivum) "-le" が加わり、人の身幅ほどもないちいさな小川を意味する。
標準語と呼ばれる Hochdeutsch(高地ドイツ語)では、Bächlein(べヒライン)という同じ意味の言葉がある。この “-lein“ も縮小辞で、たとえば Vögelein は Vögel(鳥)の縮小語、小鳥を意味する。小説やエッセイなどでは、少し古い言い方の Fräulein を目にすることもある。
ドイツ語の縮小辞・指小辞にはほかにも一般的なものがある。たとえば "-chen(ヒェン)" は、Hallo(こんにちは・やあ)に加わって、Hallöchen(やっほー)になり、Hans(ハンス・男性名)に加わって Hänschen(ハンスちゃん)になる。中国語で、ファーストネームの前に「小(シャオ)」をつけると「~ちゃん(愛称)」になる法則をつい連想する。
メルヘンとして借用語にもなっているドイツ語 Märchen は、 die Mär(おとぎ話)の縮小語だということも、改めて見てみないと見落としてしまう。 Mär は、gehobene Sprache(格式高い表現)としてのおとぎ話、もしくは皮肉・揶揄で真実味のない作り話のことを指すようだ。
言語ごとに異なる形をとる縮小辞を使って、手近な名詞をちいさくしてみる。ドイツ語の Brot(パン)をBrötchen(小さい丸パン)に、Luft(空気)を Lüftchen(そよ風)に。Rose(薔薇)を Röslein(小ばら)に、フランス語の tarte(タルト)をtartelette(タルトレット)に…。どの名詞にどの縮小辞がつくのか、厳密な規則性はわからないけれど、学んでいくうちに、なんとなくしっくりくる一つが見えてくるように思う。
英語でも縮小辞はいくつかあり、wavelet(小波・さざ波)、rivulet(小川)、booklet(小冊子)、bracelet(腕輪)などの "-let" は個人的に馴染み深い。ほかにも、sparkle(煌めき)は spark(火花・閃光)がさらに細かくなったもので、puppy(子犬)、kitty(子猫)、bunny(うさちゃん)、mummy(ママ)、 johnny や teddy などの “-y“ もある。
削って小さくなった鉛筆や煙草の吸殻、使用済みチケットの半券などを意味する "stub" は、縮小辞が付くと stabble になり、収穫後の穀物畑に残る根本の茎や、無精ひげの意味になる。
こうした縮小のことをドイツ語で verniedlichen(矮小化する)や verkleinern(縮小する)という。niedlich はかわいらしい、ちっぽけなという意味で、klein は小さいという意味の最も一般的な語だ。
少し寄り道しよう。前綴りの ver による形容詞の動詞化にはパズルのようなおもしろさがある。 verbessern は besser(=よりよく)改善すること、 vergrößern は größer(=より大きく)拡大すること、 verstärkern は stärker(より強く)強化・増大することを意味する。
verspäten といえば、spät(遅く)なる、つまり遅刻や約束に遅れること。慣れた基本語彙を文法規則に沿って組み合わせることで多彩な表現ができるので、とても心強い。
ver は形容詞だけでなく名詞も動詞にしてしまうツワモノで、vertagen はTag(日)を伸ばし延期すること、verpflichten は Pflicht(義務)づけること、verunglücken は Unglück(不幸・事故)に遭うことを表せる。
これらの言葉に何度か接していくうちに、言葉の成形や組み立て方への感覚が養われていく。あたらしい ver のつく単語と出会ったとき、そこに隠れた言葉とかくれんぼをしたり、知っている言葉から、今度は自分で単語を組み合わせたりできるようになる。
小さくなったり、大きくしたり、遅らせたり、引き伸ばしたり。
言語を自在に操ることはそう易々とできなくても、たったひとつふたつ、ささいな日常の言葉を自分の手で形づくることができただけで、知識は経験になる。
そのことを身体は覚えていて、私が忘れた頃にふとそのことを思い出させてくれる。


2024.07.19 u
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