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40. スーヴェニア、思い出すこと。

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  • 2024年6月23日
  • 読了時間: 6分

更新日:2月15日






旅。光景。匂い。声。


記憶の底のかすかな残滓が、ふとした瞬間に化学反応を起こし、蘇る。


ときにはひとりでに、またあるときには、旅の土産をきっかけにして。




英語で souvenir(スーヴェニア)といえば土産物、記念の品という意味がすぐに連想される。その語源となるラテン語により近いフランス語の le souvenir(スーヴニール) は、今でも一般的に「思い出・記憶」の意味で使われる。


フランス語の映像や文章を見ていてこの言葉に出会うたびに、土産物と思い出、二つのイメージが身体の中で混ざり合う。


動詞の se souvenir では、後ろに de を伴って人や出来事について思い出すこと、覚えていることを意味する。ラテン語の “subvenire(心に浮かぶ)” に由来し、sub は下から上への動き、venire は現在もフランス語で venir(来る)として使用されているように、ある場所へ近づき、出現することを表す。



英語での思い出(memory)と形の似ている mémoire(メモワール)は、フランス語では脳の働きとしての記憶の意味合いが強い印象だ。思い出す内容よりも、記憶していること自体に焦点が合っているように思う。





思い出すという行為には、グラデーションがある。



英語では remember がまず思い浮かぶ。思い出すこと、覚えていること。語形成から見るに、再びメンバーとなること?という疑問が浮かぶけれど、現在の member ではなく、ラテン語の rememorari (意識下に呼び戻す・再びマインドフルになる)から変化したものらしい。



remember より意識的に何かを思い出そうとするとき、 recall や recollect がある。


recall(再び・呼ぶ)という字のごとく、call には「呼ぶ・電話をする」という一般的な意味があり、再びそうすることで努めて何かの記憶を呼び起こすことを意味する。呼び戻し、手元に集めること。主に、人物の名前や出来事など、明確な事実について使う印象がある。


recollect も同じく意識的に何かを思い出そうとすることだけれど、より広範に、事実のみならず主観的な記憶も含めた意味でも用いられるようだ。学生時代や特定の期間を回想する際にいうように。散らばった破片を再びあつめること。



remind sb of sth で、何かをきっかけにあることを思い出すことを表す。remind oneself of sth/to V という再帰的な表現もあり、自分自身に呼びかけること、それによって何かを忘れないよう努めることを意味する。忘れかけていた何かに気づかせようとする自分の声。



reminisce about は追憶し、思い出を語ること。形容詞の reminiscent では、ofと共に、主語が思い入れのある対象を彷彿とさせるさま、それを連想させるさまを表す。reminiscences といえば、思い出話や回想録の意味になる。



evoke は文語的で、人に感情や記憶、心身の反応を呼び起こさせることを表す。ある映画を観て、心の奥底にあったちいさい頃の感覚が呼び覚まされるように、頭で考えるよりも先に身体が思い出すという感じ。一生分の記憶よりもっと古い、遺伝子レベルの本能的記憶も含むだろう。



hark(en) back to / hearken back to は、hark(聞く)・hearken(耳を傾ける)という古語・文語的な言葉によって、過去へ遡ること、思い出すことを表す。



上に並ぶ語彙よりさらに一般口語的な表現だと、bring back memories(人の記憶を呼び起こす→懐かしい) とか、look back to(振り返る・思い返す)がある。memorize(-rise) と似た “覚えておく” という意味では、keep in mind(心に留める・肝に銘じる)も挙げられる。




こうして日本語で英語表現に触れているうちにも、思い出す、思い起こす、思い返す、思い浮かべる、追憶する、回想する、回顧する、呼び起こすなど、実にさまざまな言い表し方を感覚で使い分けていることに気づく。その間にはいつも、隣り合わせる言葉によって微細な差異が生まれ、けれど全体に線引きをして定義づけることは叶わない。少なくとも私には。



souvenir が下から上への「浮かぶ」動力を内包しているのに対して、日本語では回顧や回想のように「円環」を感じさせる表現がいくつもあることが興味深い。これは、中国語の回(huí)が、「帰る・戻る」を意味することと無関係ではないだろう。その他の点では、英語の思い出す関連の語に「re(再び)」を含む言葉が多いと感じる。



 

そういえば、ドイツ語でremember(思い出す・覚えている)に近い語は “(sich) erinnern(思い出す・覚えている)” で、前綴りの er が、形容詞の “inner(内部の・心の中の)” を動詞化している。ここでは、外から内に向かう働きかけが語形から窺える。直訳的に見ると、対象を内向させること、といえるかもしれない。put sth in mind に近い印象がある。



思い出すという行為には、濁流を逃れ川床に沈んだ小石を拾い上げるようなイメージをもってきたけれど、ひょっとすると、記憶の置き場所はこの星と同じ回り続ける球体で、中心から遠ざかるように記憶は振り落とされていくのかもしれない。erinnern を見ているとそんな気持ちになる。




記憶に関する形容詞にも魅惑的なものがあり、とくにバリエーションが豊富なのは「記憶に残る」と訳される形容詞だ。


memorable(思い出深い)、impressive(印象に残る・すばらしい)、unforgettable([通常はいい意味で] 忘れられない)。



catchy(ひっかかりやすい→記憶に残りやすい)などは、“キャッチ―なメロディー” のように、主に耳に残るという意味で日本語にも輸入されている。




特に心惹かれるのは、haunting(忘れがたい)という言葉。美しく、かつ哀しいがゆえに忘れがたいという意味がある。 a haunting melody といえば、切なく心に染みつくような旋律。


元となる動詞の haunt は、幽霊などが出没することや、心にずっとつきまとうことを意味する。“a haunted house” はお化け(の出る)屋敷のこと。haunt には、地を這うような気配と神出鬼没の不意打ち、そしてトラウマとして繰り返し呼び起こされるつらい体験の文脈がある。



ヴァージニア・ウルフの著作に “street haunting” というエッセイ集がある。ここでの意味はもう一つの古い意味、「足繁く通う」の方だろう。転じて、人がよく行く場所、生き物がよく出没するところ。生息地や巣窟をも意味するこの言葉がもつ、魔力ともいえる響きに惹きつけられる。




少し馴染みがないものだと、indelible(消し去ることができない・不滅の)という言葉がある。ラテン語の in(不可能)が、 delere(消す、現在のdeleteの語源)を含む delebilis(破壊・消滅することのできる)を否定して、残り続けるさま、忘れられないことを表す。



芸術家や作家の retrospective exhibition(レトロスペクティブ・回顧展)という表現を目にすることもある。 retrospect とは、回顧、追想。形容詞で「懐旧の・遡及力のある(主に法や規則)」を意味する。







思い出すことの中に潜む、浮上と収集、回帰、内向的エネルギー。


忘れ去られないこと、恒久的であることは、科学・文学・哲学・芸術を含む創作活動の芯に根差してきた側面でもあるが、忘れることを経て再び邂逅することの意味は、決してそれらに劣らないと思う。



随分昔に手にした本を開くことなく歳を重ね、忘れた頃にふと頁をめくったとき。今まさに自分が探し求めていた明かりを灯してくれる言葉と出会う感動。このときをずっと待っていてくれたのだな、という思い。



探しているものはいつも歩んだことのない土地にあるとは限らず、既に出会ったものたちとの思い出の中にあることも少なくない。必要なのは、より遠くまで歩くことよりも、目を凝らし、耳を澄ませることだろう。




すべてを抱えていくことはできない。かならず零れ落ちる。忘れることは不可避である。


私は私を忘れ、人を忘れ、生きた日々を忘れるだろう。人が私を忘れるように。


それは決して、無に帰すこと、消え去ることではない。記憶の森の奥底に眠り、静かにそのときを待っている。







2024.06.23  u  

 
 
 

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