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39. 土と着想。

  • u
  • 2024年5月21日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月15日


 

 

ドイツ語で、場が和やかな雰囲気にあることを “in aufgelockerter Stimmung” ということがある。直訳的に見ると「ほぐされた雰囲気の中で」となり、この auflockern という動詞は二つの部分に分けられる。 auf は続く動詞にひらく意味合いを与え、lockernには緩めるという意味がある。


それらが合わさることで、身体の緊張・凝りを弛緩させたり、その場の雰囲気を和ませたりする意味をもつ。さらには、鍬で土を耕し、ほぐすこと、転じて形容詞的にうすく空にかかる雲の様子も表せる。その一文をみれば、まだらな雲の隙間に鍬の跡が見える気がしてくる。




fertile soil とは、肥沃な土地、作物のよく生る豊かな土壌。have a fertile imagination は想像力豊かなこと、have a fertile mind は、着想豊かな心をもつことを意味する。

fertilization は受精・受粉、施肥。



着想を受粉と重ねあわせ、精神を土壌に例えるとは。たしかに、着想というものは一見降って湧いたようなものでありながら、実は触媒と触媒とが思考の中で接し、化学反応を起こしたようなものではないか。


こんなことばが本当の最初はどこで生まれたのかまったく見当もつかないけれど、とても天晴れな表し方だと思う。地平線の彼方遠い地で生まれ、辞書の頁上の片隅で、ほんの小さな文字でもひっそりと今日まで残り続けていてくれて、こうして出会うことができてうれしい。




そういえば、culture(文化) という言葉も、耕作という意味から派生したものだったのを思い出す。


“cultivate” は現在でも耕作と修養、両方の意味をもつ。

この言葉の訳語には、個人的に「涵養」を充てたい。浸し、潤すように養うという字の通り、自然に浸みこむように養成すること。土壌に雨が降り注ぎ、風が吹き、陽が差す。大地と時間との共作なしには成しえない有機的なもの。それが今の私に合った教養のあり方だと思う。



涵養は、字義に忠実に英訳しようとすれば “learn by osmosis(浸透によって学ぶ→時間をかけて身につける)” となるかもしれない。osmosis は浸透を意味する科学用語で、繰り返し見聞きすることで自然と身につく過程を比喩的に表せる。



言語学習の方法に immerse(浸す)という言葉からなるイマージョン教育( immersion program = 没入法)というのがある。こちらは涵養とは対照的で、集中的に目標言語のみを使用する環境に身を置くことで言語習得を目指す。雨や日差しを待つのではなく、大地を飛び出し、自分自身をどっぷりとその言葉の世界へ浸して骨の髄まで沁み込ませる。






ドイツ語で日常の何気ないやりとりをしているとき、「くたくたに疲れた日は、深くえぐるような映画よりも、散水みたいなタイプの映画を観たい」と言った友人がいた。


ここで使われた berieseln という動詞は、農地に散水することを意味する。私はスプリンクラーのような霧状の水撒きを想像する。転じて、音楽などが反復によって実にゆっくりと影響を及ぼすことも表せる(sich4 mit Dat. berieseln / sich4 mit Dat. berieseln lassen)。



例えば、スーパーマーケットやショッピングモールの店内で繰り返し流れている音楽。歌詞のひとつひとつまで意識することはないが、気づけば口ずさんでいたりする。そういう外界から自分内への何者かの浸透を意味するようだ。


友人の意図は「流し見できるくらい軽めのものがいい」ということだったようだけれど、話し手によって多彩な意味合いを含められそうだ。




散水が必要な夜があれば、固くなった土壌を鍬で鋤きこむことが必要な日もある。



土で手は黒くなり、日の下で汗を流し、鍬を持つ手の皮膚は硬く深い皺が刻まれている。


考えることの遠景には、広がる大地と降り注ぐ雨や光がある。


有機的な働きをいつも忘れないでいたい。




2024.05.21  u  

 
 
 

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