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38. 気と髄のヴェンティレーション。

  • u
  • 2024年4月27日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年11月16日





変化の多い生活に幸せを感じるか。


人との出会い、知らない場所、旅という名の、移ろう風景とのつかのまの邂逅。自分にとってあたらしい何かを知ることは、自分が握りしめている白地図を、一本また一本と書き足す線で埋めていくようなものだと思っていたことはある。


一方で、その頃は零れ落ちるものへの拘泥も大きかった。

忘れること、機会の損失、何かを選ぶことで、もう二度と出会えなくなるかもしれないもうひとつの何か。そうしたものへの焦りが、今が通り過ぎてしまう前に一歩でも先へと自分を追い立てた。



ずっと掌中にあった感覚を改めて見つめ直すことができるのは、きまってそれを離れたときだ。しかし生活とはつかめないもので、単に全く違う日々の繰り返しになったということだけで、実際に車輪から脱線するように物理的に軌道を離れたのか、衛星的に引力の作用を受けながら付近をまださまよっているのかは不確か。



ただ、変わらない景色の中では、過去の風景を見返したり、頁を捲りまだ見ぬ土地に思いを馳せたりすることが多い。私には絶えず流れ込んでくる新しい水が必要だという感覚だけがずっとある。今を過去にする、過去を大過去にする時の流れという川。




ドイツ語で ein Ventil für etw という表現がある。Ventil(ヴェンティル)はバルブであり、気体や液体をせき止めたり解放したりする弁。比喩的に用いるときは主に感情に対して、たとえば ein Ventil für Ärger / Wut(怒りのはけ口)などと言うことができる。ポジティブな意味では、創造性やエネルギーとともに、それらをうまく出す・生かすと言うこともできると知る。


英語では、"give vent to one's feelings" で「感情に出口を与える → 感情を解放する」という、Ventil と同じ語源の比喩表現がある。


人とのやりとりの中で教えてもらったこの表現が、これまで形を持つことがなかった、けれどずっとここにあったものを照らしてくれる。

 

 

 

息苦しさを感じるのは、変わらない景色のせいだけではない。

 

溶けないまま層をなしていく、行き場のない感情や記憶の出口がないこと。

 

発見や驚きや破壊をもたらし、自分を再構築するきっかけとなる風が吹き込まないこと。

 

錆びついて動かない弁を打ち砕いたら、どんな自分と出会えるだろうか。それが希望であり、歩き続ける原動力になる。

 

そして多すぎる外からの刺激に圧倒されるとき、また新しい弁を用意して、絞りながらやっていくことの必要性を改めて知るのだろう。

 

 

 

ヴェンティルという耳慣れない言葉の背景に、ventilate(換気する)が見える。語源となるのはラテン語の ventus(風)。口語のドイツ語では同じルーツの ventilieren よりも die Luft(空気)がベースとなる lüften や belüften が換気の動詞として充てられることが多い気がするけれど、フランス語では ventiller(換気する)や le vent(風)のように、語源の形をそのままに感じとることができる。

 

 

弁に比喩的な表現があるように、32の記事( https://x.gd/uaOME )で触れた auslüften や durchlüften にも、「頭の中に空気を通す → 気分転換する」など、感覚的な使い方ができる。



いくつかの表現と出会っていくうちに、今あるものを吐き出すこと、鬱憤を晴らすことよりも、気孔があること、ここではないどこかへ繋がっていること自体が自分にとってなにより重要なのだと気づく。

 

 



 



水道の蛇口をドイツ語で der Wasserhahn(水雄鶏)という。これは英語の cock(コック・雄鶏)と同じ理由で形状を模した表現だ。


英語で水道水のことを tap water という。tap とは、蛇口や樽にさした栓などを示す。一般語としては faucet という言い方もある。こちらは穿つ、掘るという意味からきている言葉のようだ。改めて見ると、日本語の "蛇口" もなかなかユニーク。

 

 

動詞の tap にはいくつか意味がある。tap into といえば、「エネルギーや創造性、能力をうまく生かす」という意味になる。蛇口を捻り、体内に充満する力を流れるままに注ぐことができるというイメージが快い。




弁や水道栓という硬質で機械的な専門用語が、固有な感覚に対する的を射た表現として、かゆいところに柔軟にフィットすること。こうした偶然の出会いが、散歩の愉しみのひとつだと思う。



Ventil のような比喩表現は他にないか、探しながらそぞろ歩きしていると、馴染みのある言葉が目に飛び込んできた。



「コンセント」という言い方でおなじみの電源プラグを差し込む二本の穴は、英語では socket や outlet という。この outlet は、郊外で見かける大型の商業地、アウトレットと同じ。後者は販路・直売店という意味だけれど。単語を見ても out + let(外へ出す)という作りになっていて、そこに商品であれ電気であれ、なにかを外へと送るという共通項がある。



outlet にも Ventil に近い比喩表現があり、find an outlet for my energy(エネルギーの出口を見つける → 内なるものを生かせる状態)と言うことができる。




こうして出会った言葉を散漫に書き連ねているのも、きっと出口を求めてのことだろう。残してきた出口は、振り返るときにはまた入口となり、あらたな奥行きを世界にもたらす。行き着く先はまた別のどこか。



そして、いつかどこかで、私の出会った出口がまた誰かの入口になれば、それもまたこの上ない喜びだと思う。




2024.04.27 写真・文 u

 
 
 

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