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33. 空気を持ち歩く男。

  • u
  • 2023年10月19日
  • 読了時間: 4分

更新日:2月15日





料理を前にして、だれかがフランス語で話しているとき、出会うとうれしくなる表現がある。




Ça a l'air bon!




“おいしそう” というこの表現は、直訳すると、‟それはおいしい空気を持っている” になる。料理のおいしさが空気を漂って鼻をかすめるように奥行きがある。空気を持つのは物だけではない。




Il a toujours l'air pressè.




‟彼はいつもせかせかしている” というこの一文を眺めていると、忙しなく動き回る一人の男が、押し迫った空気を毎日鞄に詰めて持ち運んでいるような気になってくる。




pressè(e) は急いでいるという形容詞で、動詞 presser(押しつける・せきたてる)の圧をそのままに表している。








空気という意味を真っ先に連想させる “l'air” には、同じ綴り・同じ音でべつの意味があることに驚いた。




・空気(大気)/ 微風 / 空 / 雰囲気など


・表情 / 見た目 ←上の表現と同じ


・旋律 / 節 / 歌






空気にまつわる表現だけでも、感覚を伴うものが多くある。




parler en l'air (空中へしゃべる → 口から出まかせを言う)




être dans l'air (空気中にある → 広まる・普及する)




manquer d'air (空気が不足している → 気詰まり・息が詰まる)












冒頭の "おいしそう" に似た、「よさそう」「~な感じ」という主観的・感覚的な表現は、言語ごとにいくつかの種類がある。








◆フランス語


[見た目 → 状態一般]Il semble


[見た目]Il paraît


[空気]Ça a l'air...(bon, bien, etc.)


[音・聞いた話]Ça sonne...(bien) ※実際にはまだ出会ったことがない使い方


[におい]Ça sent bon など。




動詞 paraître には現れるという意味もある。「~な感じ」と言いたいときに思いつく語彙の中にはなかった言葉だ。








◆英語


[見た目 → 状態一般]It seems (to)


[見た目]It looks (like, as if) / apprears (to be, that)


[音・聞いた話] It sounds (like, as if)


[におい]It smells like など。




どれも「~なようだ」と訳せるなかに、見た印象、聞いた印象、経験から見分けるクサさ(嘘臭さ、胡散臭さ)など、文脈の違いがある。








◆ドイツ語


[見た目 → 状態一般]Es scheint...zu sein (, dass)


[見た目]Es sieht...aus


[音・聞いた話]Es hört sich …an / klingt


[におい]Es riecht nach


[直感]jdm...vorkommen (als ob)(目前にやってくる → 〜にとって...と思われる) など。






1つ目の scheinen は輝くという意味がある動詞だ。"Die Sonne scheint" といえば、日が差している、晴れているという意味になる。日の光、月の光、電球の光が照らすのと同じように物事の印象を表せるのが新鮮だ。人は光を通して世界を見ているから、光線のように目に飛び込んでくるその姿のことを言っているのかもしれない。






音に関する一般的な表現は2つあり、1つ目の anhören には聞くという意味がある。基本動詞 hören(聞く・聞こえてくる)よりも意図的に、注意を向けてなにかを聞く場合に用いられる。




2つ目の klingen には鐘やガラスが甲高く鳴る(響く)という意味もある。話し相手が "(Das) klingt toll! (いいじゃん) " と言うのを聞くたびに、遠くでかすかにカランと響く。「よさげだね」と言うときにも、主観的意味の度合いによって微妙な使い分けができそう。






直感に分類した vorkommen は少し例外的だけれど、翻訳される際には他の表現と同じ訳語を使われることが度々ある。gut や toll などの評価付けをする言葉ではなく比喩や文章と一緒に用いられる。




“~な気がする、まるで~と思われる” など、個人的な感じ方を表せる。ほかには、生息するという意味での "見られる" や、"起こる" という使われ方もある。 




ニュートラルな印象が scheinen に近いけれど、scheinen では対象物自体が主体になるのに対して、vorkommen はあくまでも人の主観的な知覚の結果として表すところに違いがある。










ちなみに、「kl」で始まるドイツ語の単語には軽い接触音や高音の金属音などを表す擬音語が多い。




(例)klappen(パタンッ)、klappern(ガタガタ、パタパタ)、klatschen(バシッ、ピシャッ…叩くような音)、klicken(カシャッ、カチッ)、klimpern(カチャカチャ、チャラチャラ)、klingeln(リンリン)、klopfen(トントン、コンコン)usw.






「kn」で始まる言葉だと、より重い衝突音や、重さによる軋みなどを表すものが多い。




(例)knacken(ポキッ、ミシッ、パカッ)→knackig(食感がカリカリ、パリパリ)、knallen(ドンッ、バタン、パンッ…破裂音)、knarren(ギシギシ)、knirschen(ギシギシ、ザッザッ)、knistern(パチパチ…火の爆ぜる音)usw.






Alles hat gut geklappt.(すべてがパタンと鳴った)




物事がうまくいった・決着がついたという意味になるこの表現も、なにかが一段落ついたときの心境が言葉の響きと相まってつい使いたくなる表現だ。












avoir l'air のフランス語表現を好きになったのは、「~な感じ」と言いたいときのあたらしい方向線をもらった気がしたからだった。


見た目、音、聞いた感じ、においに加えて、あたりに漂う空気でもそれを表せることによって、不確かで見えないけれどたしかにそこにある実感を言葉にすることができる。






「どうしたの、なんだか元気ないね」とだれかに声を掛けたいとき。


“ちょっぴり落ち込んだ空気をまとっているね” と言えることで、“あなたは元気がないように見える / 気分がよくない?” という直接表現をせずに話せる。






こういう些細で行き詰まることのない言葉の奥行きが、見える景色を変えてくれる。








2023.10.19  u  


 
 
 

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